「ありがとう!」と笑顔で言われて、悪い気分になる人は世の中にいませんでしょう。

「ありがとう」と喜んでもらえると、心が満たされ、また、そうしてあげたいという気持が自然に湧いてきます。

逆に、何かをしてあげた時、「ありがとう」が無いと、ふん?と感じたり、いやいや、自分がそうしてあげたのは別にありがとうと言ってもらうためにしたのではないから、それを期待してはいけないのだと自分に言い聞かせてみたり、相手の無礼になんと礼儀知らずなんだと腹を立ててみたり。。。

そう、「ありがとう」は、魔法の言葉なのです。

その言葉の裏にあるのは、感謝の気持です。

感謝があるところに不満はありません。

不満が起こると、感謝の気持はどこかに飛んで行ってしまいます。感謝と不満は、相対関係にあり、まるで、シーソーをしているようなものです。そして、そのどちらの側に自分を置くかは、自分次第です。

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良い人間関係を保つ5つの潤滑油 その3 感謝

感謝の気持は、逆境にあったり、困難に遭遇した時には、なかなか持てないかもしれません。でも、「不幸中の幸い」という言葉に表れるように、そうした厳しい状況の中でも、ひとつでも良いことがあれば、それをありがたいと感じ、希望が湧いてきます。

人間は、感謝できるものをいつも探しているのかもしれません。

何不自由ない生活をしていて、それが当たり前だと思えば、周りの人々に対しても、また、自然の摂理に対しても、へりくだる気持は失せ、尊大になってしまいます。

自分の生い立ちが不幸だったと親を憎めば、自分を見失い、傷ついたまま混乱し不満だらけの人生になるか、幸せを掴んでも、自分をこの世に送り出してくれた一番大切な人との絆が切れたままになってしまいます。

親戚や義父母との関係がギクシャクしていると、表面的にどんなに取り繕っても、軽快に弾む心を感じることは難しくなります。

そうした、溝を埋め、毎日の生活を穏やかな心をもたらすのが、「感謝」です。

感謝は、どんなことに対しても持つことができます。

朝暖かなお布団の中で目覚めることができたら、ありがたいですよね。陽が昇ってくることに感謝。シャワーのお湯が出ることに感謝。自分の家族があることに感謝。冷蔵庫に食べ物があることに感謝。学校や仕事に行けることに感謝。友達でいてくれることに感謝。出会う人々に笑顔があれば、それに感謝。車で送ってもらったら、それに感謝。平和な国にいたら、感謝。

人様がしてくださることには、すべて感謝です。

そして、自分が存在できていることに感謝。元気でいられることに感謝。人に何かしてあげられることができたら、その状況や立場にあることを感謝。

感謝は、どんなことに対しても感じられるものです。もし、まだ、そういう意識を持たず、いろいろなことに感謝したことがなかったら、ぜひとも、感謝することを始めてみてください。

自分一人だったら、自分の中で、「ありがたい」と思えばいいのです。

もし、お相手があることならば、その気持を言葉で表せばいいのです。「ありがとう」という一言があることは、とても大事なことです。その「ありがとう」が気恥ずかして言えない、特に、夫婦や親子では、という方々が少なくないのですが、感謝を示すことは、人間関係を暖かなものにする潤滑油なのです。

「ありがとう」の後に、なぜ、自分がそれを感謝しているかということを付け加えたら、自分が抱いている感謝の気持は、もっと相手に通じます。例えば、車で送ってもらった。「送ってくださってありがとう」。「時間に急いでいたので、とても助かりました」とか、「あの距離を歩くのはちょっと大変だったので、ありがたかったです」とか。

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それでは、気に入らないことがあったときは、どうすればいいのか。。。

 

気に入らない、気に食わない、癪に障る、頭に来る、傷つく、と思うのは、自分です。

頭に来る、と感じるのは、瞬間的なことなので、これは、どうしようもありません。でも、その後に続くことを変える力を私たちは持っています。頭に来て、相手を責め、相手の行為を嫌い、その人そのものを嫌うことを選択するか、それとも、その印象を拭い、自分の気持をそのことが起こる前の穏やかな場所に戻すか。どちらも自分が選択することです。

でも、その際に、なぜ、自分は、その行為や言動に傷つくのか。自分がそう感じるのはなぜか、と考えてみるといいでしょう。

無意識に何かを期待していた自分がいたから、そして、期待していた何かと違うことが起こったからだというところに行き着くと思います。あるいは、意識的に望んでいたこととは違うことが起こったからだ、と。

そうであれば、自分の期待を引っ込めればいいわけです。期待があれば、そして、期待が満たされなければ、不満が生まれます。無意識の期待であれば、相手方は、そんな期待を持たれていることなど知る由もありません。

そんな場合には、不満を抱く自分は、自分の一人芝居でしかないということになります。それでプンプンしているとしたら、滑稽ですよね。

こう考えてはどうでしょうか? 人間は、基本的には、人を傷つけることを目的として振る舞っているのではなく、知っている最善の方法で振る舞っているだけ。その振る舞いかたが、結果的にこちらを傷つけるものだったとしても、それは、無知や考慮の無さがなせるところ。だから、彼(彼女)の行為や言動は、許そう、自分の傷として、自分の心に落とすことはしないでおこう。落としてしまったら、傷つくのは自分なのだから、と。

もし、相手に、自分を傷つける意図があった場合には、どうすればいいのか。

誰かを傷つけたいという欲求を持つ場合、大きく二つに分けられるかもしれません。ひとつは、その人が自分の生い立ちの中でどうしようもなく傷ついていて、それを発散するために、誰かを傷つけたい。相手は誰でもいい(あの秋葉原の事件のように)。そして、不幸にも、たまたま距離が近いあなたがその対象者となったという場合。もうひとつは、あなたに傷つけられたと思い込んでいて、その仕返しをしようとしている場合。

いずれの場合にも、暴力的行為である場合には、その状況から身を離すことを考えるべきでしょう。暴力が行使された場合に残される傷は心身の両方に大き過ぎ、後に、多大な課題を残すからです。

回復を図り、誤解が解ける可能性があるものであっても、一つ目の場合には、周囲が、どんなに大きな愛をもってしても、その人の傷を包み癒すことはとても難しく、その人自身が自分過去の傷から立ち直ることを考え、実践しなければ、状況を変えることはほぼ不可能でしょう。周りができることは、ただ、温かく包んであげることだけです。

二つ目の場合は、解決は、一緒に過ごす時間を持ち、話し合うことだと思います。その状態に至ってしまうまでには、すでにいろいろな葛藤や応酬があったのでしょうが、今度は、自分の姿勢を変えて状況に臨むことで、これまでとは違う道が開かれてくるでしょう。これまでのように、お相手の言葉や言い方に反応していれば、空回りを繰り返すだけです。

新しい方法は、まず、その方に感謝することを自分の中でリストにし、自分にも「仕返し」ではなく、感謝してもらえるような話し方、やり方をしっかりと考えてから臨むことです。そして、お相手の態度や言葉遣いに惑わされることなく、自分のスタンスを貫くことです。

それを何度か繰り返しているうちに、二人の会話のリズムも内容も変わってくることでしょう。

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では、あなた自身が、生い立ちから傷ついている場合、そこから抜け出るにはどうしたらいいでしょうか。恨み、辛み、悲しみ、怒りなどの気持を「感謝」の気持で入れ替えることです。

母子、父子関係で、どうしようもない悩みを抱える人々は、決して少なくありません。子ども時代に傷ついた心は、年齢を重ねても消えません。むしろ、痛みを増す場合もありましょう。

ある女性、知性に溢れ、容姿も顔つきもモデルになるくらいに美しく、端から見れば、すべて満たされているように見えます。でも、実際には、何をやっても自分が不足だと思い、彼女を本当に愛しているパートナーにも自分はふさわしくないと心を開かず、資格を得るために新しいコースを大学で始めても途中で止めてしまうことを何度となく繰り返し、そして、ますます、自分はダメだという深みに入っていきます。

その原因は、少女時代にお母さんが発したたったひとつの言葉。            「太ったら、みっともないよ。」

当時一番気にしていたことだったので深く傷つき、お母さんを嫌うようになり、お母さんから離れているために旅をし、果ては、海の向こうまで。

そして、40代になって気が付いたのです。お母さんが彼女の将来を気遣っての言葉だったことに。それから、お母さんに向けての感謝が自分の中でほとばしるようになり、帰国を決意。その後、お母さんとの絆がしっかりと結ばれ、生き甲斐を持てる人生を作り出せるようになっています。

親子関係は、とても複雑です。昔であれば、子どもが家を継ぐことは当たり前であったことが、今は、もっと自由な生活をしたいと子どもが望み、親子の確執が起こることがあります。勘当されかねないほどの勢いになっても、子どもがそれまでの恩に対して感謝の意を表すようになると、それまでの争いは一体なんだったのかと思うほどに、親子の縁がより一層深まった例もあります。

親の生き方を肯定できない思春期の想いがずっと続き、母親との接触を避けていたのが、自分に子どもが産まれ、親の苦労を知ってから、親への感謝が芽生え、孫に合わせたことをきっかけに、幸せな関係が戻った例もあります。

憎しみが感謝に代わった時に、親子の愛の関係が回復し、そして、両方が幸せを感じるようになるのは、とてもとても興味深いことです。でも、親子ほどに絆が深い関係は他に存在しないのですから、それだけ本能的に強く引き合っているものがあるのでしょう。何かのきっかけでその絆にヒビが入った時、「幸せ」も壊れてしまう。でも、絆が復活したら、幸せも戻る。

夫婦も、親子も、その絆がしあわせの根本であることがよくわかります。

感謝と同様に、もうひとつとても大事なことがあります。間違ったことをしてしまったら、あるいは、傷つけてしまったとわかったら、すぐに謝ることです。

しまったと思っても、素直に謝ることができない、あるいは、しない人たちがいます。メンツがあり、意地があり、いびつな誇りがあるからでしょう。

すぐに陳謝の言葉があれば、すぐに受け入れてもらえます。謝るのが遅くなればなるほど、抵抗が大きくなり、最終的に頭を下げる度合いも低くなりましょう。陳謝が無ければ、傷つく度合いも深まっていきます。不思議なものです。

謝罪は、感謝と同様、人間関係にとって大事なことです。

「あんたが生まれたお陰で、私の人生が狂ってしまった。生まれなきゃ良かったのに」と言われ、自分の存在を前面否定されたにも関わらず、お母さんの愛が欲しくて、手紙を送り続け、誕生日には何年も花束を送ってきた娘さん。遂に、お母さんにその愛が届いたのか、お母さんから逢いたいという返信。10数年を隔てて逢った親子は、お母さんが謝ったことで、相互の感情の堰が切られ、それまでのすべてを洗い流すことができ、信じられないほどの親しみと愛でお互いが包まれるようになったのです。

心からの謝罪は、憎しみを溶かすことができ、感謝は、愛をさらに深くし、しあわせに直結するものなのですね。

感謝も謝罪も、どちらも、素直に表現することが、有効な潤滑油となります。

 

 

 

 

 

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