カタジュタで未来への扉が開いた

風の谷 ー Valley of the Winds

カタジュタは、ウルルからそう遠くない。同じ岩盤状にあるのだが、ウルルが一枚岩であるのに比し、こちらはいくつもの岩石が地上に飛び出している。

だから、’Many Head’と呼ばれているそうな。

文殊の知恵を授かることができるのかな。。。

小雨が降っている。歩こうか、どうしようか。でも、日を改めたら、歩くチャンスはなくなるかもしれない。

娘が、どうしても見せたい、一緒に立って眺めたいところがある、というので、決行。(それほどの意味を持つところなのだろう。そして、本当にそうだった。)

ビニールのポンチョを纏い、一番小ちゃな人は、パパの胸。顔が出るよう、ポンチョの上を切り取って二人で被る。

金属のような岩肌

石というよりも金属みたい。鉄分が多いからなのだろうか。

この山の向こうに続く渓谷に
古びた鉄板をはがしてきたような山肌
ここまで来たんだ、どうせなら、フルサーキット(7.4km)を廻ろう。

みんな元気、元気。

上の子は、まるで風に舞っているかのように山道を楽しそうに歩いている。

下の子(1歳5ヶ月)は、折があればパパの腕から出て、自分で歩こうとする。傾斜のあるところでも、ウップ! アップ! ウップ!と、ママに手を引かれながらも、自分で掛け声をかけながら、登っていく。

平らなところは、先に先にと、独りで走るように歩く。

なんだろう、この自然に湧いてくる力。自然は、いいなあ!

そうそう、ここで話は全く違う靴の宣伝。

この旅に私が履いていた靴は、(今調べてみると)Skechersというメーカーのウオーキング・シューズ。たまたま、庭の作業用の長靴を探しに行ったところで見かけた靴。メーカーがどことか気になる人ではないので、なんとなく気に入って履いてみたら、なんとも履き心地が良かった。

それ以来、毎日の外出に手放せない靴となった。

今まで自分の足に合わせて特製で作ってもらったどの靴よりも履きやすい。今回の旅もこれで行くことにした。

案の定、すばらしい歩き心地。靴が足をピタッと包み込み、濡れた岩肌でさえもグリップがしっかりと効く。何キロ歩いても疲れない。足に重みがないのだ。

突然に開けた視界

ウルルに来たのは、未来が特定の人々によって計画されていて、予想もしていなかったものになりそうな今、自分がどう生きるべきかを考えるためだった。

テクノロジーと、グルーバリストと呼ばれる人々の巨大な力を持つ人々の支配が押し寄せる中、それを跳ね除ける勇気を与えてもらうためだった。

道徳も倫理も、感情も精神性さえも奪われるのであれば、私には生きている価値はない。

自分らしく生きられなくなる未来が来るなんて、考えもしなかった。でも、この2年、そして、今の連日の社会を見れば、描かれる別世界が現実のものとして進みつつあることを日々実感するようになってきている。それも思いがけない速さで。

日常の安寧の居心地良さに甘んじていることはもうできない。

これまでの既存の社会制度がいずれ崩壊するか、別のものに置き換えられるか、消滅するのであれば、自分の身の置き所は?

さあ、どうする….. か。

自分の考えを明瞭にし、そして、腹を括ってアクションを起こすための力を大地からもらうための旅だった。

大地だけでなく、天からも恵みを授かった。

新しい方向、感動に満ちた新しい生活に移行するために。

風の谷を見下ろした瞬間、どう生きるべきかの確信を得た。
娘が、ここに一緒に立ちたいと言った意味がわかった。

自然な生き方

私が生きがいを感じることができるエレメントは:

自然の中に生きていることを感じられる環境。

コミュニティの中で人々や動物と上手に共存しながら自然を大事にしていくこと。

次世代に、「自然な生き方」の中で屈強な魂と精神を培っていける環境にいること。

家族やコミュニティの安全が確保できること。

これを一言で言い表せば、パーマカルチャー的な生き方ということになるだろうか。

こういうエレメントを取り入れていくためには、既成のものに依存しない自立したスタイルを確立する必要が出てくる。

それは、もう1年以上も前から考えていたこと。それを実行に移す時だという確信をウルルの岩たち、そして、空からの水の恵みが与えてくれた。

迷いは完全に吹っ切れた。ありがとう!!

自信を持って進んでいける。

翌朝、旅の最後、地平線は、眩しく光っていた。未来も明るい!

ウルルに上る太陽

雨のウルル ー 水の精が滝となって降りてきた

幸運とは、こういうことを言うのだろう。

曇り空、そして、雨。砂漠に雨!

地元の人々の喜びは、尋常ではなかった。

土地が、緑が、動物たちが蘇るのだから。

洪水を起こす水が、場所が変われば、こんなにも喜びを与えるものとなる。

日常の営みも、時宜、タイミング、適度なバランスが良い関係や結果をもたらすためには大事。

ついつい突っ込みがちな私は独りよがりになり、バランスを欠いてしまう。

人々と喜びを分かち合える方法を考え創り出すこと!

ウルルに向かう車窓から雨を眺めながら、自分の生き方についてのひとつのヒントをもらったように思った。

楽しみにしていた星空や夕焼けの空はまだ見ていない。

子どもたちが喜ぶであろうライトショーもこの様子ではダメだろう。

でも、でもなのだ!

写真家たちが、何年もその機会を狙うというすごい光景が目の前に現れたのだ。

たった、数日の滞在中に、これほどのすごい瞬間に出会うタイミングは、奇跡に近い

ある程度の雨量があり、岩の上の大きなくぼみに水が貯まらないと、滝にはならないのだそう。天井に池ができるだけの雨が降ったのだ。

かつて、母が若かりし頃、摩周湖の霧が晴れるのを4日待って、結局だめで、とても切なかったという話をしてくれたことがあった。

なぜかその話を思い出した。母は、何もかも静かに受け入れ、誰に対しても本当に優しい人だった。戦争を体験し、我が子を三人亡くした体験がその優しさを生み出したのかもしれない。毅然とした生き方の中に人に対しては無条件に優しかった母のように生きたいと願うが、自分は、この年になってもまだ程遠い。

どうしたら、すべてを受け入れられるようになるのだろうか…..

図らずも、こんなところで、そんな想いに至るのは、やはり、大地の、そして、天の、大自然の力がなすところなのだろう。

ウルルの岩肌に流れる滝の美しさ、幻想的な景色に圧倒された

溢れ出る水

岩肌には、何本もの滝が流れている。

岩の形によって滝の形も違う。夢を見ているような景色だ。

岩には、たくさん顔がある。

至るところに顔がある。中には、こうもりがバトルを広げているように見える洞窟もあった。

それらの顔は何を物語っているのだろうか。

同じ岩なのに、角度を変れば、違う印象になる。非大rは洞窟の天井。右は写真の遊び。
でも、顔にみえるでしょ?

自然の力にすごさを体の、心の隅々まで感じた日だった。

キングズ・キャニオン – 長老たちの霊が宿っている所

巨大な岩を縫って、渓谷の中を徐々に登っていくのは、なんとも言えなく気持ちがいい。

暑いのが当然と思っていたのに、寒い。ジャンパーが欲しいくらい。

この日は、全国的な寒波の最初の日だと後で知った。翌日は雨になるなんて予想もしていない。

曇り空で助かった。案内には、暑い日には11時過ぎたら、出発してはいけない、と書いてある。それほど酷暑の中での歩きは危険だということなのだろう。

小さな子でもなんとかなるだろうと、6kmコースを選んだ。

歩道は、ほとんどの場所が、歩きやすく整えられている。

古代の人々の霊が棲む岩。

いろいろな岩が顔に見え、その霊が集りかけてくような気がする。

特に、表題の写真の岩には、私には三人の長老とその人たちを囲む魂がまるで小人のような格好をして一緒に座っているように見え、そこにしばらく佇んだ。

よくきたな、と暖かく迎え入れてもらっているように感じた。

自分の心に迷いがなければ、恐れることは何もない」と聞こえる。

そうか、やっぱり、迷いを振り切り、考えを統一し、自分の気持ちを固めることが必要なんだ。

躊躇なく、前に進むためには。

勇気を持って腹を括るのだ。

空からも足の裏からも何かが伝わってくる

かつて、旅行中にメキシコのピラミッドの頂上に腰を下ろした時に、
「きみが住む場所はここだ!」という声を聞き、帰国後、早速とメキシコに移り住む用意をし、その後4年半住んだことで私のその後の運命が決まったことを思い出した。

また、同じ声が聞こえてきた。半世紀も経ってから。笑ってしまう。でも、こういう声が聞きたかったのだ!

今度は、自分で決めよ、選べよそして、それに迷うことなく進め! という声が。

さて、今度は、どんな展開が舞っているのだろう…. わくわくしてきた。

後で知ったのは、キングズ・キャニオンは、アボリジナルの人々にとっては、男性の霊を祀るところなのだそう。

土地の人に、長老の顔を見た話をしたら、「男性たちの霊魂と繋がったね」という言葉が笑みと一緒に戻ってきた。

古代の人々の霊魂が後押ししてくれた。思うままに行けばいいのだ、と。

自然豊かな乾燥地

意外にも、灌木が繁り、緑が多いことにびっくり。

何年も乾燥していたこの地に今年の1月に雨が降ったのだそう。雨が降ると、植物は自分の生命体に水を蓄えるためにギュッと伸び緑を繁らせるのだという。

こんな枯れ枝にしかみえない枝を張って樹木が至るところで見られた。どれもとんがり帽子でかわいい。

これが枯れて落ちたものが宿舎の食堂の屋根になっていたもの。

行き先々で面白い物をみつけては、横道に逸れるもうじき5歳になる孫。

疲れたという言葉を発するどころか、終始、元気いっぱいに道中での様々な出会いを楽しんでいた。彼女も、古代の人々の霊魂に繋がっていたのかもしれない。(帰宅後に彼女が描く絵にそれまでなかったものが出てきたことをみると、魂レベルで繋がっていたのだろう)

深い感謝の気持ちに満たされ、そこを後にする。

マウントコナー 隠されてしまったパワースポット

宿が無い

偶然が、おもしろい結果を生み出した。

ウルルには、観光客のために建造されたユララというリゾートがある。ウルルに車で10分もかからないで行ける。https://parksaustralia.gov.au/uluru/stay/ayers-rock-resort-yulara/

超モダンな建物は大自然の中ではとてもチグハグ。でも、エコを重点として設計されているという。

ところが、最初の2日間は、一部屋も空室が無いという。3週間ほどトライしたところで、最終的に観光庁から100kmほど離れた別の場所を紹介された(この地の宿泊は、ホテルに直接予約することはできず、すべて、ノアザン・テリトリー(NT)の観光庁が仕切っている)。

オーストラリアの有名シンガー、ガイ・セバスチャンのコンサートがあったからだと後で知った。

紹介されたのは、Curtin Springsというところ。100万エーカーの農場だという。一体どれだけの広さなのだろう…. 4046㎢って?

ウルルから300kmほど離れたところにあるKings Canyonに行きたかったので、その途中なら、これ幸いとそこに泊まることにした。

Kings Canyonまでは300km余。途中のCurtin Springsが紹介されたところ。

ところが、サイトで調べ、そこに立ち寄った人々のコメントを読むと、「人種差別をする」とか、「観光バスがなんでこんなところに立ち寄るのか理解できない」とか、まあ、ひどい評価がたくさん並んでいる。

私たち家族のこと、どうしてそんな評価しかされないのか、むしろ興味が注がれた。https://www.curtinsprings.com/ (サイトに流れる写真には、この地のこれまでの歴史を垣間見るものやマウントコナーのすばらしい光景がある)

そして、滞在したからこそ、その謎が解けたように思う。

これが宿舎の入り口
観光バスの休憩所。宿泊客が食事をするところ。
入口に立つ説明書。オーナー家族の観光発展への寄与、想像を絶する苦難な生活、マウントコナーはウルルとカタジュタと同時期に地上に突出し「3巨岩」と位置付けられていることがつづられている。

マウントコナーは、通りを隔てた遥か向こうに見える。

偶然に泊まることになったこの場所には、特別な事実が秘されていた。

過酷な歴史

オーストラリアが極めて特異な歴史を持つことは、皆さん、ご存知だろう。何万年も前からアボリジナルと総称される先住民が住んでいたこの広大な島?大陸?に1770年キャプテンクックが率いる英国の艦隊がボタニー湾に到着し、「ここを英国王のものとする」と英国旗を立て、英国が所有する土地としてしまった。勝手に!

誰も住んでいない土地として。

狩の道具以外武器も文字も持たず、王や国家といったものも存在しないこの地で、その後、先住民たちは殺戮、居住地からの追放、白人が構築していく社会からの疎外や人権の迫害を受けてきた。

取り上げられた土地は、その後、オーストラリアを植民地とした英国政府とその管理政府によって様々に分配されることになる。

砂漠のような乾燥地にあるこのカーテン・スプリングスは、1940年代に家畜放牧地としてリースされ、最初の入植者は、あまりの過酷さにリースを手放し、1956年に今のオーナーの先代、ピーター・セベリン(Peter Severin)が、奥さんのドーンとリースを譲り受けた。

ピーターは、あまりのひどさにドーンが逃げ出してしまわないように、車の鍵を身から離すことはなかったという。

1500頭の牛を引き連れたきたセベリン家、最初の年に彼らが見た人たちは、たった六人。そのうち二人は、彼らが生きているかどうかを確かめにきた友人だった。

庭に巨大なサボテンが何本か生えている。奇妙な顔がたくさん見え、どれも何かを訴えているかに見える。
新芽がいっぱい育ってきている。これが守り神なのか、それとも苦難にあがく象徴なのか。

ウルルへの最初の観光ツアーが実施されたのが1958年。ガソリンの入った大きなタンクを乗せ、アリススプリングスからエアコンなど無いバスで片道丸2日の旅。ピーターの土地は中間点。給油施設を設けた。これは、すごい先見の明。

旱魃が続けば、家畜は死ぬ。9年続いた旱魃で、1500頭の牛は400頭にまで減る。そうした過酷な状態でも観光業によって、存続が可能となった。

コロナ騒動が始まる前には、日々、20台から30台の観光バスが止まり、宿泊者も年間数千人を超え、30人の従業員が1日24時間週7日、フル回転で働くほどに重要な地となっていた。

それなのに、そこにコロナ騒動。ロックダウンで観光客は途絶えた。

私たちが行った時は、その名残で、まだ閑散としたままだった。敷地内にキャンピングカーが無料で駐車できる広い場所があり、食堂で食事しているキャンパーたちがいるのみ。

ここが現在のレストラン。木の枝を組んだこの屋根、砂漠地帯には最高。雨が降ったら、雨漏りした。

オーナー家族は、最初はぶっきらぼうな感じだったが、笑顔とユーモアとフレンドリーな姿勢を見せれば、彼らも笑顔とユーモアで応えてくれる。日中は、出歩いているので、接する機会はあまり無かったけれど、でも、とてもよくしてくださった。

このオーナー家族の自然との、そして、社会現象による凄まじい戦いは、尋常ではない。それでもあきらめない精神にただただ圧倒される。

降雨で4500頭までに増えた牛。人々の食卓に届くまでには、屠殺場での処理が必要。アリス・スプリングス(300キロ余)にあった屠殺場が閉鎖され、1200km離れたアデレードまで行かなかければならなくなった。

至難を経て、独自の屠殺場を持つ権利を得るが、それもやがて政府の方針で潰された。

旱魃が続く度に何年も苦難に耐え、時代の流れにも大きく作用される。家畜の輸出の状態があまりにも過酷であるという動画がテレビで放映され、その結果、2013年には、オーストラリアから生きた家畜を他の国々に輸出することが禁じられた。それも耐え難い痛打だった。

こうしたことは彼らが遭遇した過酷さのたったわずかの部分。それでもなおこの広大な土地を70年近く維持してきているセベリン家の人々に、本当に心底尊敬し心服した。その逞しさと苦難を乗り越える力と努力と執念に。

そして、その人たちが経営するこの簡易な宿に泊まらせてもらったことに感謝した。

マウント・コナーが人気にならないのは…

セベリン家の所有地にあるマウント・コナー。ウルルの3倍の大きさがある。

それなのに、なぜ、この岩がウルルと同様一枚岩で、見えないところでは繋がっている特別な岩が人々の関心を呼ばないのだろうか。

ある観光雑誌には、’most disappointing tourist attraction in Australia’とまで書いてある。

私有地の真ん中を幹線道路が貫いている。片側にある宿舎から車道を隔てた向こうに見えるマウントコナー。

個人の所有地にあって、ガイド付きのツアでないと行けない。ツアはある程度の人数がないと組んでもらえない。独自に近くに行くと、不法侵入で捕まるという。(日程にもう1日余裕があれば、連れて行ってもらいたかった。)

このことが人々が近付き難いものとしてしまっているのかもしれない。

ウルルは、2019年から岩に登ることは禁じられている。アボリジナルにとってこの上なく神聖な場所に登ることは、日本人なら法隆寺の屋根に外国人が登られるような感覚なのだろう。

でも、観光資源としての見返りは大きい(といって、その資源がアボリジナルの人々の生活を潤すわけではない)し、頂上に行くことを目指してウルルを訪問する人々にとっては、そこに登れないことは大きな失望となる。

ふたつの相反する考えがぶつかる中で、ついに2019年に永久に登れないことになった。それでも、観光客はここを目指す。

登ることが可能だった時には、上まで鎖が装着されていた。今は、取り外されている。政府から任命を受けてその鎖を付けたのが、実は、ピーター・セベリンだった。逼迫する家計を助けるためにアリス・スプリングスに出稼ぎに出た際、彼の技術が認められ、抜擢されたのだいう。

ここに来なかったから、それは知る由もなかったこと。

さらに驚いたのは、「マウント・コナーは、セベリン家の墓石である。ピーターと家族、そして、友人数名が岩の麓に埋葬されている」という文章だった。

私の目は、この文章に釘付けになった。

気持ちの中で引いていくものがあった。

何かがとてもまずい気がした。そして、何かが突然に開けてきた気がした。

先人あっての今

そう言えば、A4の紙に20ページに渡って細かく知るされたこの土地とオーナーの歴史を綴る冊子に、もともとの先住民のことについては、一言も触れられていない。

1770年の英国の姿勢と同じ傲慢さを見てしまったような気がした。

先住民の人々の聖なる岩。おそらく多くの先住民が埋葬されているこの地帯。彼らの魂が棲んでいるところ。そのことを尊重したら、マウント・コナーは、苦境と苦難の連続の代わりに、豊かな恩恵をこのファミリーにもたらし、旅行者からの評価も違うものになるのではないだろうか…..

そういう自分は、先祖や先人たちをそれだけ敬っているだろうか。日本にいないことをいいことに、朝のお仏壇や神棚へのお参りは兄に任せたまま。自分は、そんなお祈りも儀式もちっともしてきていなかった。

未来のことに気を取られ、未来を見据えた今にしか視線を置かず、自分がどのようにしてここに至ったのか、なぜここにいるかを先人たちが築いた視線から見ることをすっかりと忘れてしまっていた。

思い出した時に感謝するのではなく、毎朝、家族や友人や自分が現在知る人々、そして、世界の平穏を祈る時に、一緒に、先祖と、地球の大切なものを守り続けてきた先人たちに感謝を捧げることの大切さを深く再認識した。

舞っている自分が地面に引き戻された感があった。

真夜中、物音が聞こえた。

まさかあああ!

電気を作り出しているジェネレーターの音だろう。

夜明け、やっぱり外は雨。

砂漠に雨が来た!!!

天と地のエネルギーをもらいに行って来た

来るべき時に備えて、と言ったら大袈裟だろうか。自分の向かうところ、使命をより鮮明にするために、「大地のヘソ」に行って来た。

一時期「エアーズロック」と呼ばれることがあったが、正式名は、Uluru (ウルル)- (でっかい小石という意味だという人もあれば、意味はないという学者もいる)。

先住民アボリジーの人々の最も聖なる地。

約6億年前、このあたりは海の底だった。4億年前あたりから海底の岩の変動が始まり、水上に頭を出したのは、3億3千万年前くらいだという。

その頃は、現在(比高335m)よりも高く、徐々に、侵食により、現在の形に至ったという。

この地に先住民の人々が住み始めたのが約6万年前(この数字も説によって様々)。

ウルルは、地下の巨大な岩石のほんの一部が地上に顔を出したもの。同じ岩石が別のところに飛び出ているのがカタジュタ(たくさんの頭)。遠くからなら、一枚の写真に収まる。

さらに、同列で並ぶのが、マウント・コナー(これにまつわっては興味深い話があるので別号で)。この3つは、3つとも聖なる場所で、それぞれの形状が全く違う。

岩のなりたち

地上に出ている形状は、全く違うもの
後方に薄く見えるのがカタジュタ
ウルルは一枚岩。カタジュタは、いくつもの岩がニョコニョコ飛び出している
マウント・コナー。形がウルルに似ているのでよく間違えられるという。私有地にある。

真っ平らな広大な土地にぽっこりと出ている岩たち。

この3箇所は、チャクラで言えば、ソーラプレクサスにあたるという。「個」が宿るところ。自分の生き方を確立するチャクラ。パワーの源泉のあるところ。

この二年で世界は変わってしまった。

これからの未来の想定図も予告されている。人類がある一部の人々に掌握され、経済や社会の仕組みが変えられるだけでなく、個人の思考や感情や健康や仕事などまでも、すべてのことがテクノロジーで管理されるというもの。

その図は、私が生きたいと思う世界ではない。

テクノロジーの影響/恩恵をたくさん受けているので、すでにある程度は管理されているのかもしれない。でも、AI(人工頭脳)につながれて管理されるようなことは御免被る。

実現しないで欲しいと思うけれど、それを推進している力は巨大。

あくまでも自分の自由意志で生きていると信じられる方法で生きていたい。少なくとも、そう思える環境の中に自分をおきたい。それにはどうすればいいのか。

まさか、この年になって生き方に迷いが生じるようになるとは….

巻き込まれないようにするにはそれなりの知恵と精神力とスタミナがいる。

自分はどう生きるか、精神力をどう高めるのか、どんな使命をもって日々を送るのか、自分が生きたい世界はどこにあるのか、その答えを探すためにウルルに来た。

電子機器は家に置き、自然の中に身を置く。

時間が止まる

岩は、百万年単位でしか動かない。悠久の時の流れというのは、こういうことを言うのだろうか。古代からの永遠の時の流れを静かに包み込んでいる。

そんな岩の前に立つと、人間の生活がとてもせせこましく感じられる。

人間一人の命なんて、その流れの中では見えないほどに小さなもの。それなのに、せめぎあって殺し合って競い合う人間。ここに佇むと、そんな人間社会で起こっていることなどすべてがどうでもいいことのように思えてくる。

些細なことに気を取られるな、悠然と構えておれ、というのが最初に受けたメッセージだった。

これからどんなメッセージが送られてくるのだろう….

行き先は、光が闇を消し去るところ

災害に遭遇した時

歴史的な豪雨のために,被災された皆様、そして、身近な方を失われてしまった方々に心からお見舞い申し上げます。

被災地から遠い地にいる筆者には、到底想像できないような心身の痛みと向き合ってみえる方々に、お見舞いなどという言葉を使うことさえおこがましく、あの日以来、想いが言葉にならないまま、もう2週間近くになります。

大きな災害に見舞われた際に、恐らく最初に誰もが感じることは、自然の猛威になす術もなく立ちすくむ人間の無力さではないでしょうか。

 

その日まであったすべてのものが持ち去られ破壊されてしまった方々は、瞬間的な恐怖が去った時、これからの毎日をどう生きていったらいいのか途方に暮れ、絶望感に包まれることでしょう。幸いにも、被災を免れた人びとも、その破壊力に呆然とする一方、被災しなかったことに感謝しながらも、その気持に対して罪悪感を抱き、同時に、被災した人びとを助けたいと切望し、でも、何が一番の支援になるのか、どうすればいいのか、わけのわからない焦りに追い立てられます。

しあわせを感じたり、楽しんだりすることも遠慮しなければならないような無色の圧力に包まれます。

災害は、被災したらもちろん、被災しなくても、コミュニティのすべての人びとの感じ方、考え方、そして、通常の生活のリズムを一変させてしまいます。7年前の東日本の大震災は、その地域だけでなく、日本中の人びとのサイキに大きく影響し、そのできごとの余韻は、今でも人びとの心に暗い陰を残しています。

でも、その中で、力強く立ち上がっている人びともいます。以前よりもさらに強い想いを抱きながら。何が、その力を与えるのでしょう。

 

【生と死は表裏一体】

・ 災害は区別なく人びとを襲う

地理的に災害が起こりやすい地というのはありましょう。かつては、それが言えたのかもしれません。でも、気候変動による自然の猛威は、世界のどこにおいても区別なく人間を襲います。世界の至るところで、それまで起こったことがない大規模な形で、「過去の記録にない」「歴史的な」と名が付く災害が起こっています。雪、雨、風、地震、旱魃、火山などありとあらゆる形で。

アメリカの災害復興/復旧に使われるお金は、国防費を上回っているという報道もあります。それほどに、災害の数も規模も大きくなるばかりです。もう地球上に、この地は災害と無縁というような場所はないように思われます。

2011年の地震と津波の大災害の後、多くの人びとが、安全を求めて南の地に住処を移しました。災害が少ないと言われていた「晴れの国」岡山は、希望者が多い土地だったと理解しています。その時に、誰が、今回の豪雨による災害を予想したでしょうか。

 

・「備え合ったら憂い無し」は、もう通用しない

どんな堤防を建造したってそれ以上の波は来る。どんなにたくさんのダムを造っても、むしろそれが引き金になることもある。人間が先を見越す知恵や知識を越えた想定外の規模で災害はやってきます。しかも、私たちの現代の生活は、物に溢れています。家も以前より大きくなっています。だから、災害の規模は、大きくなるばかりで、失う物も大きくなるばかりです。

精神的にも、物理的にも、どんな準備をしていても、一旦、大規模な災害が起こった時には、大きなうねりの中に飲み込まれてしまいます。対処の仕方があるのでしょうか。。

 

・災害とか事故に遭った時、命の尊さを実感する 

普段忙しい生活を送っている現代人は、仕事をこなし、物を求め続け、快適さ得ることに視点を置きがちで、何のために生きているのか、どう生きたらいいのか、人生で本当に大事なことは何なのか、といったことを考える時間がありません。

でも、災害や大事故あるいは大病に見舞われた瞬間を境に、私たちは、「生きる」ということに視点を移すようになります。前と後では、あまりにも生活が違ってしまうので、その衝撃は、生き方そのもの、あるいは、命に対する感覚をまったく違うものとしてしまうからです。

住む家を無くし、愛する方を亡くされた方は、こんな苦労をするくらいなら、いっそう死んでしまったほうが良かったとさえ感じられるかもしれません。これまでの快適な場が喪失してしまった今、そして、一緒に力を合わせていける家族がもし亡くなってしまっていたら、生きる意味が感じられなくなってしまっても不思議ではありません。

大変興味深いのは、仮死状態に陥った人びとが、いろいろな形でその後の人生を別人のごとく生きる例がたくさんあります。命の意味を知ったからということもありましょう、再度命をもらったと感じ生きる目的を再認識したからなのかもしれません。精神的な暗闇を通ることで、光りの当たるところに再び出た時には、いろいろな迷いが吹っ切れていて、生きる目的やビジョンがクリアになっていることもあるでしょうし、人間としての肉体を卒業し、魂そのものあるいは純粋な精神性のみに生きるようになっている、ということもありましょう。

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・「死」が「生」を目覚めさす 

私たちは、「死」を見て生を考えます。死が控えているからこそ、生を大事にします。 生と死は、普段から一体なのですが、忙しさに追われ、忘れがちになるので、皮肉にも、降り掛かった災害によって普段もっているものをはぎ取られ、失った時、私たちは人間の本質を見つめることになります。そして、物を失った時、本当に大事なものは何なのかということがより鮮明に見えてきます。

災害を乗り越え、その後を力強く生きていけるために、人びとが必要としていることがふたつあるように思えます。

 

1 生きる目的、使命、ビジョンを明確に                       これを持っていると、命がありさえすれば失ったものは取り戻せる、と最初の衝撃後早い時期に立ち直ることができます。早い人は、瞬間的にそのスイッチが入ります。苦境にあって、情熱をより強く煽られるのでしょう。

そうした明確なものを持っていなくても、被災した中で、生きる目的が明確に見えてきたら、力が出てくるようになりましょう。

東日本大震災の時に、大波と一緒に流れてきた大木に押され、握っていたお父さんの手から引き離されてしまった少女がいます。当時15歳。マリさん(仮称)といいます。お父様は、そのまま行方不明となり、その瞬間の光景は、大きなトラウマとなって彼女の脳裏にずっと残ったとしてもおかしくありません。

でも、彼女は、自分が一生懸命に生きることがお父さんの魂を引き継ぐことだと考え、いろいろなことに挑戦することにしました。仮設住宅で苦労するお母さんを励ます一方、他の犠牲者たちと一緒に、ニューヨークやパリでの義援金募金の活動ツアに参加し、その後、1年間オーストラリアに留学しました。活動ができたのは、周りからの支援があったからですが、参加の意思表明し選択し続けてきたのは、マリさんです。その後、震災で犠牲になった人びとを支援する団体に属し、活動を続けています。結婚して一児のお母さんとなり、とても充実した幸せな生活を送っています。

彼女は、「自分が明確な生きる目的を持ったから立ち直れた」「周りの人びとの支えのお陰だ」と言います。

未来のことは心配せず、今この瞬間にできることを着実に積上げてきた結果でしょう。

 

一方、こんな例もあります。

今年5月、スイスで安楽死した科学者がいます。David Goodallというイギリス生まれのオーストラリアの生物学者で、動植物の生態系について研究し、大きな貢献を果たした人物です。今年104歳になり、身体が徐徐に不自由になり介助が要るようになってきたことで、自分の尊厳を失いたくない、加えて、もう社会に貢献できることがない、だから「死にたい」ということで、ご自分の命の最後を締め括られました。

彼は、孫たちに至るまで家族全員を彼の決意と決行の全行程に参加させ、最後の瞬間まで録画させ、安楽死の議論がもっと盛んに行われるようにと世界に向けて発信し、自らの「死」を使って、まだなお社会への貢献に尽くしました。

私たちに生きる力を与えるものが何であるかを如実に物語っています。

 

2 周りの支援は生きる気持を奮い立たす                        もうひとつは、周りからの暖かな支援です。人は繋がることで、元気を得ます。愛情が伝わることで、がんばろうという気持になれます。

時に、支援を受けることを潔しとせず、重荷に感じられることがあったとしても、人びとの善意やがんばって欲しいという願いが、空虚な心を徐徐に満たしていくことでしょう。

そして、復旧の大変さを越すことができれば、生きることの喜びや感動に再び満たされる日々がやがてやってくることでしょう。

 

【支援者たちの苦悩】

災害は、被災しなかった人びとにも深い苦悩を与えます。

事故による怪我や大きな病気が周りの人びとに大きく影響するように。

 

・生まれる罪悪感

誰かに不幸が襲ったら、そして、亡くなる人が出たら、誰も尋常な気持ではいられません。

幸いにも被災は免れた、良かった、と思うごくごく自然な気持が、罪悪感や自責の念として自分を襲ってくることがあります。

被災を免れたことは、実際に本当に幸運なことなのです。その幸運を素直にありがたいと思うことは、当たり前なのですが、その当たり前が、被災して苦労してみえる方々のことを考えると、快適な場所で、食べる物にも不自由せず、きれいな水が使えるという状態に感謝できる状態を申し訳ないと思ってしまうからなのでしょう。

その感謝できる状態で、被災者に対して何ができるかを考え、自分ができることの目的を設定すれば、いいエネルギーに変換することができます。

 

・助けたいのは自然の気持

困っている人を助けたい、何かお役に立ちたい、というこれまた極めて自然な気持が、必ずしも、純粋なものとして受け止められないことがあります。通常のチャリティでもそうですが、自己満足でしかないといった心ない言葉が飛んだりすることがあります。

人間が、つながっていたい、コネクションを持ちたい、困っている人に手を差し伸べたいのは、本能です。だから、悲劇が訪れた時には、いても立ってもいられなくなり、何かしたい、何かしなければ、とせき立てられるような気持になるのは、まったく当たり前のことです。

ボランティアとして実際に現場でがんばられる方々には、ただただ頭が下がるのみです。

 

・支援は自分ができる方法で

何かしたいという気持と、何が、いつできるかというのは、別物です。

被災者が必要としていることと、自分ができることがマッチしなければ、支援の効果は半減してしまいます。どうすることが効果的なのかわからなかったり、何ができるのかと悩んだり心を痛めたりすることがたくさん出てきます。

629171c9d9ff84dce1fa61b29c7e4b6e_s  日常の生活の維持や仕事の遂行など、そうでなくても忙しい生活を送っている現代人にとって、1日数時間の、週に数日の、時間を作り出すことは現実の問題として至難の業です。

そうなってくると、お役に立ちたいという逸る気持に迷いが生じたり、ブレーキがかかってしまうことになります。それに対して再び罪悪感を感じるといった二重三重の複雑な気持になります。

特に、日本は、お互いにとても気を遣う社会なので、人びととのやり取りで心労を余計に感じてしまうことが多々あるのでしょう。

これは、特に身近な人びとが事故に遭ったり、大きな病気にかかった時にも、どうしてあげていいかわからないために、求められている支援を適切にできないことがあります。いくら気持があっても。。。

支援を必要とする人びとが、こうして欲しいと要望すれば、痒い所に手が届くのでしょうが、「何がお入り用ですか」「どうしたらいいでしょう」というような質問をすれば、「何も要らない(手伝ってなんてもらわなくてもいい)という返事が戻ってくるのが落ちかもしれません。難しいのです。

加えて、洪水で生じた泥の後始末、家具の始末など、重労働の作業は、体力への負担が大きく、さらに、熱暑となると、ボランティアに出て体をこわすといった二次災害が生じることもあります。被災者はもっと大変、こんなことでへこたれていられないとがんばれば、自分が参ってしまい、それ以上の支援はできなくなります。

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話は少し飛びますが、長年、飛行機に乗る度に、おかしい、おかしいと思っていたことがあります。それは、緊急時の酸素マスク着用の仕方です。子どもに先に着けるのではなく、まず、自分。それから、子ども、という指示です。いや、私なら子どもにまず着けると何十年も思っていました。それが、ある時、自分が腕の骨にひびを入れ、普段5分でできることが30分かかる。それまで当たり前にできていたことができない。自分のことが精一杯で、人のことどころではない。

それで、ようやくわかったのです、この酸素マスクの意味が。

 

・個人の力には限りがある

支援は、極めて大事。

でも、こうした大きな災害は、個人の力に限りあることを思い知らされる切ない場面にたくさん遭遇することにもなります。だからこそ、たくさんの人びとが集まって手をつなぎ、力を合わせることで元気が出、復旧作業がより効果的に進みますが、そのためには、行政や地方の誘導が決定的な役目を負います。しかしながら、惜しむらくは、行政は、「公平」「落ち度がないように」といったことを優先しがちなために、即効性に欠けてしまいがちです。

それ故に、ますます個人が重い負担を共に背負おうとするのですが、それぞれが、限界を超えてしまわないことはとても大事です。

大事が起こった時は、往々にして、普段想像もつかないような力が出るものです。復旧作業やお手伝いに夢中になり、身体の疲れを感じず、体力と気力が続く限りゴーゴーゴーの状態を続けていると、やがて、疲労困憊して倒れ、その後の生活に恒久的な疲れを残すことになってしまうかもしれません。

そして、自身のそれまでの生活のリズムを失い、あたかも間接に被災したかのような状態になりかねません。

それを防ぐためには、限界があることを受け入れ、それに対して罪悪感や自責の念を感じないことです。簡単なことではないのですが、酸素マスクの原理を思い出すことです。

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【長期的な展望】

災害がますます頻繁に起こるようになる時代、そして、多くの人びとが病気を避け難くなってきている時代、私たちは、どうすればいいのでしょうか?

そうなることを、まず、未来図に入れておいて、今を生きる必要があります。

なぜなら、私たちはもう予想がつかない世界に突入してしまっているからです。人間が軌道修正できる時間がすでに過ぎてしまっているのであれば、私たち自身が、身を守る必要があるだけでなく、その日が来ることを覚悟していなければならないということです。

 

・感謝の毎日

欲しいもの、足りないものに視線を向けるのか、それとも、自分が持てるものに視線を向けるのか。

それによって、人間の気持は大きく変わってきます。

日本が経済的に豊かな時代を迎える前のこと、ある家族に7人子どもがいて、本当に貧しく、お父さんが近所の家々の畑仕事を手伝いながらその日の終わりに配給される野菜で飢えを凌ぎ、9切れに割ったリンゴ一切れの味が忘れられないというほどに食べ物が不足していたお家がありました。

お母さんは、残り物や調味料を分けてもらうために近所の家々をまわったこともしばしば。そうしたことを大変だと思うこともなく、愚痴をこぼすこともなく、その日手に入ったものを幸運だと喜び、感謝し、ありがたくみんなで食したといいます。

この7人の子どもたち、互いに助け合って勉強して全員が高校に進学し、仕事に就き、やがて、7人の共同出資でお父さんとお母さんに家を建ててあげ、生計を支え、時間を作っては実家に来て家事を手伝い、 お父さんとお母さんは、最後の最後まで本当に幸せな人生だったと感謝し続けてみえたということ。

なによりも、すごいと思うのは、どんな時でも苦労したお父さんとお母さんへの感謝を忘れず、今ある自分たちの毎日にいつも感謝し続け、7人が7様に幸せな家庭を築いているということです。

これは、私が直接に知るあるご家族の話です。この家族の在り方は、物質に囲まれた私たちの現代生活の中で、とても象徴的な存在だと思うのです。

なぜかというと、幸せは、物にあるのではなく、人の想い、考え方、互いへの愛情の示し方にある、ということをこれほど見事に物語っている家族はないからです。

 

・生き甲斐のある毎日を作り出す

何を生き甲斐として生きていくのか。

したいことの達成、夢の実現は、すばらしい喜びを運んできてくれます。

13e5520b5a5161fc976a6ec8a5f07471_sBucket List (バケツリスト)”という言葉があります。これは、死を前にした人たちが、死ぬ前に達成したことを書き出すリストとして使われ始めた言葉ですが、今は、普通に、一生の間にしたいことなんでもすべて書き出すものとして使われています。

自分の死が見えなくても、告知を受けなくても、私たちは、いずれ、その日を迎えます。そういう意味では、このBucket Listは、いつ作成してもおかしくありません。

アメリカで80歳以上のお年寄りにアンケートをしたところ、70%の人びとが共通に感じている後悔のナンバーワンは、「もっと挑戦すれば良かった」という情報があります。

やりたいこと、してみたいことは、人を突き動かす動力になるものです。

時間がない、お金がない、面倒、失敗するかも、人がどう思うかわからない、などなど様々な口実を自分に与えたら、動かないで終ります。リストを制覇していく勢いが糧となり、それを実現するための準備と手段の整えていくことが毎日の時間を充実したものとします。

そこには、何かに燃える自分がいることでしょう。

そして、自分がしたいことが人に恩恵をもたらすものであり、社会をよりよくするものであれば、やり甲斐はより深まり、人生の喜びはとても大きなものとなります。

 

・周囲の人びととのつながりを大事にする

人間が幸せを感じることは、ふたつのカテゴリーに分けることができます。

ひとつは、自分自身の達成。

もうひとつは、人びととのつながりの中で生まれる喜び。

同じ目的を持った人びととのグループ、同じ価値観を持つ企業仲間、同じ楽しみを追うサークル仲間などなど、自分を囲む人びとはたくさんいます。それぞれの人びととの関係を大事にしていくことで、人びととつながることができます。

その中でも、家族は、特別な意味を持つ存在です。この関係が、他の人々との関係の土台になるといってもいいほどに、自分の存在の安定をもたらすものだからです。ここが揺れ、愛情や和がガタガタすると、いつも何か満たされない、そして、イライラする人生となってしまいます。怒りに満ちたものとなるかもしれません。人に理由なく当たり散らすかもしれません。他人を信頼できないかもしれません。

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過去に何があったとしても、災害や事故や深刻な病気に見舞われた時は、しがらみや嫌な思い出や憎しみなどの重い感情を捨て去る良い機会です。そんなものは、生きていく上で邪魔になるだけです。私たちの限られた命の中で、そんな負担は要らないのです。

今に焦点をあて、今この瞬間、お互いを支えるために日々の生活を営み、自分の愛を伝える行為を選択していくことです。

大津秀一著「死ぬ時に後悔すること25」のナンバーワンは、「愛する人にありがとうを伝えなかったこと」ということだそうです。

私たちはコミュニティの中に生まれ、コミュニティの中で育ち、コミュニティを形成していきます。

良きメンバーであるために励み、社会に良いものを還元しましょう。できないことにガリガリせず、それぞれ一生懸命している人びとを批判せず、でも、自分が無力だと罪悪感を感じたりせず、自分ができる範囲と方法で。

やがて、いつかは、誰にも、それができなくなる日が来ます。だからこそ、自分なりの方法で、そして、人びとと手をつなぎながら、今日を大事にしましょう。

 

 

良い人間関係を保つ5つの潤滑油 その5

ある時、ショッピングを済ませた50代か60代くらいでしょうか、ご夫婦らしき男女の後ろにたまたまついて出口まで歩くことになりました。

男性は、手ぶら。女性は、2つも買い物袋を持っています。男性は知らん顔してスタスタ歩いていきます。どこか体が悪いわけではなさそうです。女性は、「持っていただける?」と頼む事もなく、黙々と、俯き加減で歩いていきます。二人の間には、相当な距離が。

いつもこんな感じだったら、一体、普段の家庭内はどんなものなのだろうか? 口の中がジャリジャリするような毎日? お互いを包むような暖かで柔らかな気持を抱くことがあるのだろうか。。。と、数分間ですが、余計な想像をしてしまいました(笑)。

たまらなくいやだろうな、そんなだったら。。。

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良い人間関係を保つ5つの潤滑油 その4

あるご夫婦。

奥様は84歳、ご主人は90歳。お二人ともとてもお元気。そして、とても仲良し。おつむも非常にしっかりしてみえます。あの時、あの場所での「思い出」が実に鮮明。時々、写真を見てその時のことを語ったり、お知り合いの方々にお手紙を書かれたり、電話をされたりして、思い出を語り続けることで、その時の喜怒哀楽が蘇り、常に心に鮮明に残るのだそうです。

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良い人間関係を保つ5つの潤滑油 その3

「ありがとう!」と笑顔で言われて、悪い気分になる人は世の中にいませんでしょう。

「ありがとう」と喜んでもらえると、心が満たされ、また、そうしてあげたいという気持が自然に湧いてきます。

逆に、何かをしてあげた時、「ありがとう」が無いと、ふん?と感じたり、いやいや、自分がそうしてあげたのは別にありがとうと言ってもらうためにしたのではないから、それを期待してはいけないのだと自分に言い聞かせてみたり、相手の無礼になんと礼儀知らずなんだと腹を立ててみたり。。。

そう、「ありがとう」は、魔法の言葉なのです。

その言葉の裏にあるのは、感謝の気持です。

感謝があるところに不満はありません。

不満が起こると、感謝の気持はどこかに飛んで行ってしまいます。感謝と不満は、相対関係にあり、まるで、シーソーをしているようなものです。そして、そのどちらの側に自分を置くかは、自分次第です。 “良い人間関係を保つ5つの潤滑油 その3”の続きを読む

良い人間関係を保つ5つの潤滑油 その2

「親しき仲(中)にも礼儀あり」という言葉があります。

ここでの礼儀は、日常における言葉と行動のことで、特別優雅な所作や儀礼のことではありません(もちろん、優雅な作法を身に付けていたら、とてもすてきであることは言うまでもないことです)。相手を尊重し、お互いに気持よく生活するためには、言葉も行動もある程度のレベルが求められます。

でも、その適宜なレベルがどこにあるかを見極めることがとても難しいのです。

自分が置かれた状況や起こったことで、相手に対する自分の言動が変わるだけでなく、相手の受け止め方も、その人の感覚、求めているもの、置かれている状況、根底にある深いニーズなどによって大きく変わるからです。

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