「専業主婦」という言葉は、あなたにとっては、どのような響きを持っていますか?

 

「憧れる結婚生活」

「子育てに専念できることをとても幸せに思う」

「女性の理想的な生き方」

という人たちがいる一方、

 

「一生、家の奴隷になるみたい」

「夫が主役で私はそれを支える脇役」

「休憩時間さえ無いのにいつも遊んでいるように見られる」

「給与をもらうわけではないから、その価値が認められていない気がする」

「「専業主婦」って言った途端に、羨望と蔑視が混じった視線を向けられる」

という人たちもいます。

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そこで、この「専業主婦」なるものについて、少し調べてみました。

 2002年度国立社会保障・人口問題研究所の調査や2009年度の「男女共同参画白書」などにある数字をみると、

20代か40代か、また、人生のどの段階にいるか、

そして、どんな人生を送りたいと思っているかで、

この言葉は違う意味とイメージを持つようです。

2009年度版の「男女共同参画白書」では「夫は外で働き、妻は家庭を守るべきだ」とする考え方に関して、女性の中では若い世代ほど「妻が家庭を守る」という意識が強くなっていることが公表され、近年では有名大学卒の20歳代の女性に「専業主婦願望」が広がっている、ということが書かれています。

 

おもしろいのは、「夫が高学歴である場合は、妻の主婦かが促進される傾向にあることが調査委により判明している」という記述があることです。

 

ということは、男女共に、高学歴になるほど、「夫が外で、妻が家で」という生活スタイル像がより浸透しているということでしょうか。彼ら自身が、そういう家庭で育ち、それが当たり前のことと思っているところから来ているのかもしれません。

それを裏付けることが、後で出てきます。

 

昔は、結婚したら女性は家に入り、外で働く夫を支え、家を内側から守ることが当たり前でした。誰もがそうしていたのです。

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それが、ウーマンリブの動きから始まり、女性が子どもができても、自分のキャリアを選択できる動きが社会に広まり、女性が外で働くことが当たり前となった時代から、「専業」主婦という奇妙な言葉が生まれてきたようです。

 

人間は、定義が好きであり、枠にあてはめることで、その人の存在を理解することが多いので、この言葉は、社会一般の人々が簡単に理解できるように作られたのでしょうが、税制上でもカテゴリーとして意味のある言葉を持つようになったようです。

英語では、homemakerという言葉があり、housewifeよりも響きはいいのでは、と思いますが、この言葉も、社会に定着するまでには、アメリカでは女性からの抵抗があったといいます。

 日本語でも、もっとすてきな名前が無いものでしょうかね。。。

 

「専業主婦」という言葉に抵抗がある人たちが多いのは、「母親」という役目に納められ、社会の中での「自分」の立場の確立が不明確である状態から早く脱却したいという願いと、そこにまつわる社会通念から来る人々の思惑からも解放されたいということが裏にあるのではないかと思います。

経済的余裕があるということが、羨望の的となることも心地良くないのかもしれません。

もう一つの問題は、もしかしたらこれが根本なのかもしれませんが、「誰々の妻です」「誰々の母です」という以外に、自分が誰であるかを説明ができないことがなのではないかと思います。

 

社会の中では、「どこどこの社員です」「これこれの仕事をしています」と自分が「何」をしている、ということで、家以外に属す場があり、社会の中における責任が どこにいるということが明白になります。

 

以前ならば、属すところはたった一つ。結婚したら、その家を守り、家族を守り、子どもを育てる、だから、誰々の妻です、どこどこの家の嫁です、と誇りを持って言えたのです。なぜって、それほどに社会貢献ができる職業は他に無いからです。

 

えっ、どういうこと? と思われますか? 

2つの大きな貢献があることを簡単に説明ができます。

 

ひとつは、旦那さんを通しての社会貢献です。

旦那さんを温かく支え、家のことに何の心配もなければ、旦那さんは、仕事に専念でき、とてもいい仕事ができるでしょう。

 そして、できるだけ仕事を早く仕上げ、おいしい手料理が待っている家に、いそいそと楽しみに帰宅することでしょう。

つまり、家庭の中にも、良い環境ができているということです。

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二つ目は、子育てに専念することで、立派な人間を世に送り出すことができるからです。

たまたま、こんな記事に遭遇しました。

 

日本の男女格差は、144カ国中なんと114位だという1114日付けの日経ビジネスです。

 http://nkbp.jp/2i9C9hc

男女の格差に関しては、脇に置いておいて、ここでは、子どもへのケアに関する部分を紹介します。以下、そこからの抜粋です。

1970年代初頭、米国ノースカロライナ州で示唆に富む社会実験が行なわれた。この実験では0歳の子供が5歳まで成長する過程で、「大人が子を手厚くケアする」グループと、しないグループに分け、40年後の学歴や健康などを追跡調査した。

結果は、幼児期のケアの重要性を示すものだった。

「“手厚いケア群”が大学を卒業する確率は、“手厚いケアをしなかった群”より4倍も高く、健康度も高い」ことがわかった」

類似した実験は他にもあり、1960年代からミシガン州のペリー幼稚園で行なわれた「手厚いケア」群とそうでない群の追跡調査でも、19歳時の高校卒業率、27歳時の持ち家率、40歳時の所得が「手厚いケア」群で高いことがわかった。

日本ではこれらの社会実験を「優秀な子を育てる英才教育」とみる傾向があるが、実際にはそうではない。確かに小学低学年までのIQは高まるが、その後効果は持続していない。

一方、学校を卒業するまで学び続ける力、企業などで働き続ける力、賃金を得る力などの、いわゆる「生きる力」は5歳まで、どれだけ大人に手厚いケアを受けたかで大きく変わる。

以上、記事からの抜粋でした。

 

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専業主婦として家にいることができる女性は、通常、全面的にそのケアに専心することができます(もちろん、子どもをニグレクトする場合もあるわけですが、それは、ここでは触れません)。そして、手厚いケアを受けた子どもたちは、将来、社会に貢献する人間に育っていくという流れができていくわけです。

誤解をしないでください。女性が仕事に出ていたら、手厚いケアができないという意味ではまったくありません。外に仕事を持っている女性が「専業主婦」の人々ができることをするためには、何倍、何十倍かの努力が要り、そして、その努力をしている、ということです。

あるいは、別の人のヘルプを必要とします。

昔は、そのために、結婚した女性は家に留まり、だからこそ、旦那さんに守られ、育児と子どもの教育に携わることができました。それは、夫や子どものためではなく、妻となり、母となる女性のための制度でもあったのだと思います。

男女格差などということも、意識にもなく、問題にもならなかったわけです。

女性の社会進出と同時に、女性に、いろいろな機会が与えられ始めました。それは、すばらしいことです。

でも、同時に、苦労や労働時間は、二重、三重にと増えることにもなりました。それは、「妻」の立場が変わっても、家のことはすべて「妻」に任せたままという男性の立場は、そのまま継続しているからです。

家事も育児も妻と一緒に携わっているという男性は、まだ、「珍しい」存在でしょう。 

だからこそ、日本の男女格差のひどさは、114位などというひどい数字になるわけです。

 

そういう意味では、「専業主婦」という立場にある女性も、また、その環境で育つ子どもたちも、アドバンテージを持っていると言っても言い過ぎではないでしょう。

高学歴になるほど妻が家に入ることを望み、有名な私立大学の女学生が専業主婦し好になるという調査結果は、そういうアドバンテージを親の代から理解しているということであり、それができる環境にあるということです。

 

そして、「専業主婦」という立場でいられるもっともすばらしいことは、妻として、母としての役目を立派に果たしてさえいたば、他の時間には自分の好きなことができるということです。 

それが、趣味であれ、コミュニティへの貢献であれ、子どもたちの通う学校への関与であれ、自分のビジネスの開設であれ、勉学であれ、きれいに保つためのエクササイズであれ、自由に時間を使うことができます。

子どもが大きくなるにつれ、それは、徐徐に、キャリアになっていくかもしれません、また、生きる世界を広げる媒体となることでしょう。 

それ故に、女性の理想的な生き方とまで言われるのだろうと思います。

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家に留まることが可能であり、子どもが小さなうちは、そのアドバンテージをエンジョイし、子どもの「手厚いケア」ができ、それが幸せな家庭作り、子どもの未来の活躍に繋げることができれば最高です。

その状態に対して、罪悪感を感じる必要も、仕事を持たなければと焦る必要も無いのです。

仕事もキャリアも、時が来れば、巡ってきます。

 

子どもが小さな頃から、キャリアとの両立を図る方々もまた、そのことに罪悪感を感じる必要はまったく無いのです。

 

要は、それぞれが自分に合った、そして、一番いいと思われる方法を選び、その選択ができることに感謝し、周りで支えてくださる方々に感謝し、それを自分の喜びとすることです。

 その喜びは、家族全員に浸透していくことでしょう。

しあわせで、やる気と向学心に燃え、自分の人生を切り開くためのチャレンジに向かっている高校生の後ろには、お母さんが仕事を持っている、持っていないに関わらず、子どもを深く愛し、理解し、子どもの夢を支援するお母さんの姿があり、そこには強い絆が存在しています。

 

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