“Life is a Game. All you have to do is know how to play it”. という言葉が英語にあります。
誰が言った言葉かは、わかりません。
人生はまさにゲームのようなもの。どの駒を動かすか(行動の選択)で、次の行動が誘導され、支配されます。
上手にプレイしたらいい人生になるし、下手なプレイなら物足りなく後悔の多いものになってしまう。
あの時の決断が今に生きていると成功を喜ぶこともあれば、あの決断さえなかったら、今の苦渋はなかったかもしれないのにと、その決断によって、その後の道が明確に分かれたといったことは、誰にもあることでしょう。決断が大きなものであればあったほど。
良いプレイなら自分も楽しめるし、人々も楽しむことができる。
良いプレイをするためには、
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どんなゲームに自分は参加しているのか?(何が欲しいのか。目的は何か)
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どんなルールでプレイするのか? (社会のルール、自分の信条、環境が求めるもの)
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自分はどんなプレーヤーなのか?(何をしたいのか、どのポジションで臨むのか、自分の得意とするものは、何が弱点になるのか、どこに死角があるのか、どんな時にプレッシャーを感じるのか。。。)
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どんな技術を付けなければならないのか?(夢や目標に達成するためには、何が要るのか)
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人とどう連携を組めばいいのか?(一緒にチームを組む人たちはどんな人たちなのか)
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何に対してたたかっているのか?
などがわかっていれば、ひとつひとつの選択はより明瞭になってきます。

どの瞬間にどういう決定を選択するかで、喜びに満ちた結果に導かれることもあれば、泥沼試合に持ち込まれることだってある。
全部が全部、自分でコントロールできるわけではなく、時代や運や自然に支配されてしまうこともある。しかし、その中でどんなプレイをするかは自分次第。時には、ギャンブルを打つことだってある。それが吉と出るか、凶と出るか、運命なのか、偶然なのか、計算し尽くした後の賭けなのか。。。
Life is a Game. というのは、そんな意味の言葉だと私は、捉えています。
私たちは、誰もが、毎日、いろいろな「選択」をしています。起きた瞬間から就寝するまで。時には、夢の中でさえも。そして、無意識下においても。行動しないことも「選択」です。
習慣化してしまい反応で選択しているものもあります。自然にそうなったという選択もあります。一生懸命考えいろいろな条件を鑑みて選択するものもあります。周囲の期待に応えるために選択するものあります。機を捉えて選択するものもあります。思いつきで選択するものもあります。心の奥の声に従って選択するものもあります。選択の根本の動機となっているものは、意識で認識できるものもあれば、意識に明確に現れてこないものもあります。
選択の結果が幸せなものもあれば、その選択をしたばかりに、そこからいろいろなことが狂ってしまうこともあります。周りがその選択を歓迎するものもあれば、それによってそっぽを向かれてしまうこともあります。その良い例が、先週、今週とオーストラリア中が大騒ぎをしているクリケットの試合での不正事件です。
オーストラリアを始め、英国連邦諸国では、クリケットは、国民スポーツといってもいいほどに根強い人気があります。
先日、南アフリカで開催された大会で、オーストラリアのチームが、ボールの質を変化させるタンパリングをしたとして国中が大騒ぎ。本当にものすごい大騒ぎ。異常です。こんなにメディアも一般の人々も騒ぎ立てるというのは、それだけ、クリケットがこの国の文化に大きな位置を占めているということなのでしょう。
キャプテンと副キャプテンは1年の出場停止、実際に行為を行った選手は9ヶ月の停止。
帰国した選手たちは、連日、涙、涙の会見。妻や子どもたちまでがインタービューに引き出され、それこそ懺悔の場。
国の恥、クリケット協会の恥、ファンに対する冒涜、と攻撃的な言葉が飛びます。
三人の選手たちは、国民的英雄の立場から、一夜にして、罵倒され、侮蔑される立場に。 スポンサーたちも降り、年間数百万ドルの収入も失い、家庭内もボロボロ。
恐らく、試合に勝たなければというプレッシャーがあったのでしょう。そして、見つからないで済むと思ったかもしれないし、見つかってもたいした処分は無いだろうと考えたかもしれません(どの国のチームでも、どの試合でも、不正は、しょっちゅうあることだと解説する人々もいます)。
あるいは、不正することに、何とも入れないスリルを感じたのかもしれません。
そして、タンパリングすることを選択した。
結果として、国際的な大ニュースとなり、溌剌としていたスポーツマンたちが、たった1週間で、頬はこけ、目は窪み、10歳も年老いた弱々しい人たちに変わってしまったのです。
たったひとつの選択で、彼らの、その前と後の人生ゲームは、まったく違った展開のものとなってしまいました。天才とか事故ではなく、自分の判断でしたことで。
魔が差した、というのは、まさにこのような選択をした瞬間のことをいうのでしょう。
実行するという決断は意識的なものですが、通常の判断力があれば、選択しなかったのではないでしょうか。「テレビカメラが何百台と回っている中で」と選手自身が言っているように、危険極まりない行為に、彼らを駆り立てたものが一体、何であったのか。。。
勝負のプレッシャー、いつもの習慣、勝利への切望、世界のベストプレーヤーの地位を占めたい、人々が歓喜する様子を見たい、誰かを見返したいなどなど、彼らの気持を突き上げるなんらかの強いニーズがあったのでしょう。
選手たちは、何度か、あの瞬間がなかったら、ということを言っています。どう願っても、そこで人生が変わってしまったことは、選手にも、家族にも、他の誰にも明白です。
派手なことは望めないけれど、そして、目標達成までに時間がかかるかもしれないけれど、ルールに従い黙々と進むか、それとも、リスクはあっても、華やかさを得ることに賭けてみるか。このどちらも、性格タイプから来ているものだとしたら、その裏にあるものは何?
この件のように、意識して選択しても、結果がまったく思わぬものとなることはいくらでもあります。それなら、パニック状態の中で起こした行動はどうでしょうか?
パニック状態で起こることは、無意識下から突き上げられる動機なので、どうしてそうなったか、そんなことを言ったかわからない、というのが通常です。決断と行動のプロセスを振り返ることができなければ、自分が選択したものではない、と感じます。
でも、それも選択の結果です。意識しているかしていないかだけのことです。
そういう選択になぜ導かれるのか。自分をパニックにしてしまうのは何なのか。
何がストレスになっているのか。どんなニーズがあるのか。
それを知っているのと、知らないのでは、自分の人生に雲泥の差をもたらします。なぜなら、そういう毎日の選択の積み重ねが、私たちの人生そのものになるからです。
自分を突き動かすものを上手に使っていけば、たどり着きたい自分を徐々に実現していくことができます。そして、邪魔になるものをできるだけ排除し、省いていくことができます。
英語に”He is in his Elements” “She is totally in her Elements” という表現があります。これは、その人のしていることがその人の才能や人柄や性質にびったりと合い、完全にそれに没頭し、そして、楽しみ、光り輝いている状態を指します。周りも、それに感動します。
それを貫いていけば、その道の通となり、師匠となり、達人となっていきます。結果として、自分が磨いてきたもので光り輝きます。
あるいは、ある時、自分の能力を思う存分使うことができるものに巡り会うと、人は、突然に輝き出します。それが仕事であっても、趣味であっても、地域社会への貢献であっても、政治活動であっても、なんでもいいのです。いわゆる、天職と呼ばれるようなものです。
それに巡り会った人は、とても幸せです。
「たま撃ちゃあたる」式に何でもかんでもやってみるのも楽しいでしょうが、いいものに当たる回数が少なく、要らないものにたくさん当たれば、ストレスと欲求不満も大きくなります。
自分の能力に懐疑的になることもありましょう。よくわからないまま、もやもやする感情に支配され、うまく行かないことで悩めば悩むほど、心の張りは失われていきます。自己否定や自己嫌悪に陥ることもありましょう。勉強、仕事が義務であり、やりたくないのにやらなければならない、行きたくない会社に行かなければならない、そんな悪循環から抜け出すにはどうすればいいのか。
自分を知ることです。性格タイプは、それに役立ちます。
友達と、親子で、夫婦で、兄弟姉妹で、口を開けば喧嘩になってしまう。よくないとわかっていても、どうしても感情的になってしまい、毎日が不愉快。相手のあら探しばかりしてしまい、ついつい文句を言いたくなる、悪口を言ってしまう。だから、関係はますます悪くなる。ここから抜け出すためには、どうしたらいいのか。
性格タイプを知ることです。タイプの知識は、互いの理解を深める道具。絶好の友好手段。

教室の中の勉強よりも外で遊ぶのが好きな子ども。独りで本を読んでいるのが好きな子ども。ハンズオン(実習型)を得意をする子ども。先生の言う通りに従う子ども。よくしゃべる子ども。口数の少ない子ども。たくさんのことに関心を示す子ども。ひとつのことに集中する子ども。行動的な子ども。静かな子ども。夢見る夢こちゃん。落ち着きがないように見える子ども。優柔不断に見える子ども。みんな、タイプの違いから来るものです。
親がそのタイプを肯定的に受け止め、支援し、他の資質も同時に育んでいけば、とてもいい親子関係になります。子どもは、素直に親の言う事に耳を傾け、自分を公的的に浮け止め、自信を持って人生に臨んでいきます。
親が期待しているものと違い、子どもを変えようとすれば、子どもは、突然に頑固になるかもしれないし、抵抗するだろうし、親の言う事を聞かなくなり、そこに確執が起こり、なんとかしようと親が必死になればなるほど、状況は悪くなります。
そこで起こっていることは、恐らく親のタイプと子どものタイプが違うために、親が理解できない、だから、心配する、イライラする、結果としてぶつかる。そして、関係は、悪化していく。
これも、全部避けることができます。性格タイプの知識があれば。喧嘩なんて、しなくていいのです。批判なんてしなくていいのです。
教室の中でも、今までは、1人の先生対何十人の生徒たちという定型の授業であったものが、これからは、アクティブ・ラーニングというような形がどんどん取り入れられるようになれば、生徒たち一人一人の個性が浮き彫りになってきます。
その時に、先生たちが一人一人の学習パターンを支援することができれば、学習の進歩や子どもの成長は大きく伸びます。
ここでも、性格タイプの知識が決定的に重要なものとなります。
一人一人が自分の生き方を肯定できると、自分が生きやすいだけでなく、生きることがすばらしい喜びとなります。そんな人々が集まったら、人間関係は、自然に互恵のものとなります。なぜなら、自分を受け入れ、自分の生き方を肯定できるのであれば、他者の生き方も肯定できるからです。でも、自分と他者の間には、様々な違いが存在することも確かです。
人間一人一人みな違うということは、
思考回路、実践の仕方、行動のスピード、価値観、目標設定の仕方、関心を向けるところ、活力の発動の仕方もタイミングも、金銭/経済感覚、情報収集の好み、勉強の仕方、時間の使い方、言葉遣い、整理整頓の仕方、指示語か依頼語か、物事の判断基準、などなど、違うことばかりです。
大事なことは、誰のがいい、誰のが悪い、というの一切なく、誰もがみな、自分のやり方や自分のありかたが正しいと感じているという事実を理解しておくことです。
だから、人を変えようと思っても、人は変わりません。その人が、自分を変えたいと思わない限り。だから、自分を、そして、人を理解することがとても大事となるのです。
でも、社会生活の中では、場所、状況、タイミングにおいて、適材適所が出てきます。例えば、事故現場では、ある特定の人でなければ対処できないでしょう。スポーツのトレーニング現場にピアニストが行っても役に立てません。キャビンアテンダントになりたければ、学者肌の人が行っても勤まらないでしょう。
みな、それぞれに秀でたところがあり、それぞれに楽しいと思うことがあり、同時に、それぞれに苦手とするところがあるのです。それを手っ取り早く知ることができるのが性格タイプです。
現在では、神経科学の発達により、約100年前にカールユングが考えていたタイプ論は、科学的な裏付けがあるものだったことがわかってきています。
すごいことだと思われませんか?
人生を運転する自分と、一緒に車に乗っている人々のことがもっとよくわかったら、知らないときよりもずっと、比較にならないほどに運転がらくになります。
そして、車の中の雰囲気は、とても楽しいものとなり、行き先を決めることもらくになりましょう。
人生は、とても豊かなものとなります。
5月13日(日)の岡山市国際交流センターでの性格タイプのワークショップは、そんなことを紐解いていくワークショップです。言葉だととても難しく響きますが、実際は、みなさんに参加していろいろやっていただく楽しい内容です。
お一人でももちろん、お友達、ご夫婦、フィアンセ、職場のお仲間、ご家族(お子様は15歳以上)お誘いのうえ、いらしてください。
お申し込み先:fusaeharada@gmail.com あるいは、rie ria azumaさんが設定してくださっているFacebookのイベント欄でお申し込みください。
お会いできる事を楽しみにしています。
投稿者: 原田房枝
An author, life coach, counsellor, and co-founding director of ICET (Inter-Cultural Education Today), a specialised program for Japanese students studying in Australia. Over twenty years she has worked with hundreds of students and parents, establishing a unique education program focused on language learning, as well as cultural understanding and personal development.
Her coaching seminars guide families in how to strengthen their relationships and build happiness, especially with teenagers. She has lived in Sydney since 1980.
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