私は、40代の半ばに、人生の支えであった二人の大事な人を相次いで亡くしました。
私の背骨だった父、そして、娘と一緒に私の心の真ん中に座っていた夫。
夫の訃報は、たまたま旅行中だったフランスから届けられました。
立ち上げようとしていた新しい教育機関の創設申請書類の政府への提出を翌日に控え、関係者と最後の追い込みに入っていた時に。
私の幸せな人生は、終った。もう二度と幸せにはなれない。愛のない人生なんて何の意味もない。
これから一体、何のために生きるのか。
崖から突き落とされたような絶望感と喪失感から私を救ってくれたのは、絶妙なタイミングで同時進行で起こっていたひとつの組織の誕生でした。
まだ幼かった娘と、私を全面的に頼っている日本からの留学生たちのつぶらな瞳と限りなく明るい心。そんな彼らの幸せの軸であることが私の役目であり責任であるはず。
絶望に沈んでいる時ではない。
彼らを幸せにするという使命感が私を絶望から引き上げてくれました。そして、私には、海の向こうでいつも私の幸せを祈っていてくれる母がいました。
当たり前に存在したことが、こんなにも儚く無惨に消えていくことを体験し、生き方の姿勢が変わりました。どんな時にも、どんな場所においても、どなたとご一緒させていただく時にも、その瞬間は天からの贈り物であり、そこに自分の誠意と意識のすべてを注入しようと。
100%をその瞬間に。
その瞬間を自分の最善のクオリティで生きよう、と。
未来の不安を思い煩うこともなく、過去の鎖に縛り付けられることもなく、
それ以上でもなくそれ以下でもない、自分の持てるすべてで。
それがたとえ他の方々にとっては充分なものでなくても、それが私にできるその時の最上、最善のものにしようと。
それが、今を生きるということなのでしょう。そして、ずっと、それを貫いてきました。なぜなら、
その生き方は、
とてもらくなのです。
迷うことがないからです。
後悔がないからです。
他の人々と共に成長できることほど楽しいことはありません。
毎日が充実し、心が弾みます。
そして、なによりも幸せなのです。
その間に、多くの幸せな人たちに出会いました。
そして、彼らが共通に満たしていることがあるのに気付きました。
同時に、しあわせでないと感じていても、ほんのちょっと、自分を変えてみたら、しあわせに満ちるようになったという人々にもたくさん出会いました。
「し・あ・わ・せの4原則」は、そこから生まれたものです。
志(し):幸せに生きる志、人々の幸せを願う気持ち。
愛(あ):人々と助け合い、協力し、愛と感謝で満ちた毎日。
和(わ):和に支えられた仲の良い家庭と社会。
施(せ):世のため、人のために生き、自分を役立てる。
この4原則は、誰でも、何歳であっても、実現していくことができるものです。
幸せをご自分の手で創り出していってください。
ご自分のために、周りの大事な人々のために、そして、社会全体のために。
幸せな人々が増えることが、ふしあわせな人々を創り出さないことにつながります。