カタジュタで未来への扉が開いた

風の谷 ー Valley of the Winds

カタジュタは、ウルルからそう遠くない。同じ岩盤状にあるのだが、ウルルが一枚岩であるのに比し、こちらはいくつもの岩石が地上に飛び出している。

だから、’Many Head’と呼ばれているそうな。

文殊の知恵を授かることができるのかな。。。

小雨が降っている。歩こうか、どうしようか。でも、日を改めたら、歩くチャンスはなくなるかもしれない。

娘が、どうしても見せたい、一緒に立って眺めたいところがある、というので、決行。(それほどの意味を持つところなのだろう。そして、本当にそうだった。)

ビニールのポンチョを纏い、一番小ちゃな人は、パパの胸。顔が出るよう、ポンチョの上を切り取って二人で被る。

金属のような岩肌

石というよりも金属みたい。鉄分が多いからなのだろうか。

この山の向こうに続く渓谷に
古びた鉄板をはがしてきたような山肌
ここまで来たんだ、どうせなら、フルサーキット(7.4km)を廻ろう。

みんな元気、元気。

上の子は、まるで風に舞っているかのように山道を楽しそうに歩いている。

下の子(1歳5ヶ月)は、折があればパパの腕から出て、自分で歩こうとする。傾斜のあるところでも、ウップ! アップ! ウップ!と、ママに手を引かれながらも、自分で掛け声をかけながら、登っていく。

平らなところは、先に先にと、独りで走るように歩く。

なんだろう、この自然に湧いてくる力。自然は、いいなあ!

そうそう、ここで話は全く違う靴の宣伝。

この旅に私が履いていた靴は、(今調べてみると)Skechersというメーカーのウオーキング・シューズ。たまたま、庭の作業用の長靴を探しに行ったところで見かけた靴。メーカーがどことか気になる人ではないので、なんとなく気に入って履いてみたら、なんとも履き心地が良かった。

それ以来、毎日の外出に手放せない靴となった。

今まで自分の足に合わせて特製で作ってもらったどの靴よりも履きやすい。今回の旅もこれで行くことにした。

案の定、すばらしい歩き心地。靴が足をピタッと包み込み、濡れた岩肌でさえもグリップがしっかりと効く。何キロ歩いても疲れない。足に重みがないのだ。

突然に開けた視界

ウルルに来たのは、未来が特定の人々によって計画されていて、予想もしていなかったものになりそうな今、自分がどう生きるべきかを考えるためだった。

テクノロジーと、グルーバリストと呼ばれる人々の巨大な力を持つ人々の支配が押し寄せる中、それを跳ね除ける勇気を与えてもらうためだった。

道徳も倫理も、感情も精神性さえも奪われるのであれば、私には生きている価値はない。

自分らしく生きられなくなる未来が来るなんて、考えもしなかった。でも、この2年、そして、今の連日の社会を見れば、描かれる別世界が現実のものとして進みつつあることを日々実感するようになってきている。それも思いがけない速さで。

日常の安寧の居心地良さに甘んじていることはもうできない。

これまでの既存の社会制度がいずれ崩壊するか、別のものに置き換えられるか、消滅するのであれば、自分の身の置き所は?

さあ、どうする….. か。

自分の考えを明瞭にし、そして、腹を括ってアクションを起こすための力を大地からもらうための旅だった。

大地だけでなく、天からも恵みを授かった。

新しい方向、感動に満ちた新しい生活に移行するために。

風の谷を見下ろした瞬間、どう生きるべきかの確信を得た。
娘が、ここに一緒に立ちたいと言った意味がわかった。

自然な生き方

私が生きがいを感じることができるエレメントは:

自然の中に生きていることを感じられる環境。

コミュニティの中で人々や動物と上手に共存しながら自然を大事にしていくこと。

次世代に、「自然な生き方」の中で屈強な魂と精神を培っていける環境にいること。

家族やコミュニティの安全が確保できること。

これを一言で言い表せば、パーマカルチャー的な生き方ということになるだろうか。

こういうエレメントを取り入れていくためには、既成のものに依存しない自立したスタイルを確立する必要が出てくる。

それは、もう1年以上も前から考えていたこと。それを実行に移す時だという確信をウルルの岩たち、そして、空からの水の恵みが与えてくれた。

迷いは完全に吹っ切れた。ありがとう!!

自信を持って進んでいける。

翌朝、旅の最後、地平線は、眩しく光っていた。未来も明るい!

ウルルに上る太陽