歴史的な豪雨のために,被災された皆様、そして、身近な方を失われてしまった方々に心からお見舞い申し上げます。
被災地から遠い地にいる筆者には、到底想像できないような心身の痛みと向き合ってみえる方々に、お見舞いなどという言葉を使うことさえおこがましく、あの日以来、想いが言葉にならないまま、もう2週間近くになります。
大きな災害に見舞われた際に、恐らく最初に誰もが感じることは、自然の猛威になす術もなく立ちすくむ人間の無力さではないでしょうか。
その日まであったすべてのものが持ち去られ破壊されてしまった方々は、瞬間的な恐怖が去った時、これからの毎日をどう生きていったらいいのか途方に暮れ、絶望感に包まれることでしょう。幸いにも、被災を免れた人びとも、その破壊力に呆然とする一方、被災しなかったことに感謝しながらも、その気持に対して罪悪感を抱き、同時に、被災した人びとを助けたいと切望し、でも、何が一番の支援になるのか、どうすればいいのか、わけのわからない焦りに追い立てられます。
しあわせを感じたり、楽しんだりすることも遠慮しなければならないような無色の圧力に包まれます。
災害は、被災したらもちろん、被災しなくても、コミュニティのすべての人びとの感じ方、考え方、そして、通常の生活のリズムを一変させてしまいます。7年前の東日本の大震災は、その地域だけでなく、日本中の人びとのサイキに大きく影響し、そのできごとの余韻は、今でも人びとの心に暗い陰を残しています。
でも、その中で、力強く立ち上がっている人びともいます。以前よりもさらに強い想いを抱きながら。何が、その力を与えるのでしょう。
【生と死は表裏一体】
・ 災害は区別なく人びとを襲う
地理的に災害が起こりやすい地というのはありましょう。かつては、それが言えたのかもしれません。でも、気候変動による自然の猛威は、世界のどこにおいても区別なく人間を襲います。世界の至るところで、それまで起こったことがない大規模な形で、「過去の記録にない」「歴史的な」と名が付く災害が起こっています。雪、雨、風、地震、旱魃、火山などありとあらゆる形で。
アメリカの災害復興/復旧に使われるお金は、国防費を上回っているという報道もあります。それほどに、災害の数も規模も大きくなるばかりです。もう地球上に、この地は災害と無縁というような場所はないように思われます。
2011年の地震と津波の大災害の後、多くの人びとが、安全を求めて南の地に住処を移しました。災害が少ないと言われていた「晴れの国」岡山は、希望者が多い土地だったと理解しています。その時に、誰が、今回の豪雨による災害を予想したでしょうか。
・「備え合ったら憂い無し」は、もう通用しない
どんな堤防を建造したってそれ以上の波は来る。どんなにたくさんのダムを造っても、むしろそれが引き金になることもある。人間が先を見越す知恵や知識を越えた想定外の規模で災害はやってきます。しかも、私たちの現代の生活は、物に溢れています。家も以前より大きくなっています。だから、災害の規模は、大きくなるばかりで、失う物も大きくなるばかりです。
精神的にも、物理的にも、どんな準備をしていても、一旦、大規模な災害が起こった時には、大きなうねりの中に飲み込まれてしまいます。対処の仕方があるのでしょうか。。
・災害とか事故に遭った時、命の尊さを実感する
普段忙しい生活を送っている現代人は、仕事をこなし、物を求め続け、快適さ得ることに視点を置きがちで、何のために生きているのか、どう生きたらいいのか、人生で本当に大事なことは何なのか、といったことを考える時間がありません。
でも、災害や大事故あるいは大病に見舞われた瞬間を境に、私たちは、「生きる」ということに視点を移すようになります。前と後では、あまりにも生活が違ってしまうので、その衝撃は、生き方そのもの、あるいは、命に対する感覚をまったく違うものとしてしまうからです。
住む家を無くし、愛する方を亡くされた方は、こんな苦労をするくらいなら、いっそう死んでしまったほうが良かったとさえ感じられるかもしれません。これまでの快適な場が喪失してしまった今、そして、一緒に力を合わせていける家族がもし亡くなってしまっていたら、生きる意味が感じられなくなってしまっても不思議ではありません。
大変興味深いのは、仮死状態に陥った人びとが、いろいろな形でその後の人生を別人のごとく生きる例がたくさんあります。命の意味を知ったからということもありましょう、再度命をもらったと感じ生きる目的を再認識したからなのかもしれません。精神的な暗闇を通ることで、光りの当たるところに再び出た時には、いろいろな迷いが吹っ切れていて、生きる目的やビジョンがクリアになっていることもあるでしょうし、人間としての肉体を卒業し、魂そのものあるいは純粋な精神性のみに生きるようになっている、ということもありましょう。
・「死」が「生」を目覚めさす
私たちは、「死」を見て生を考えます。死が控えているからこそ、生を大事にします。 生と死は、普段から一体なのですが、忙しさに追われ、忘れがちになるので、皮肉にも、降り掛かった災害によって普段もっているものをはぎ取られ、失った時、私たちは人間の本質を見つめることになります。そして、物を失った時、本当に大事なものは何なのかということがより鮮明に見えてきます。
災害を乗り越え、その後を力強く生きていけるために、人びとが必要としていることがふたつあるように思えます。
1 生きる目的、使命、ビジョンを明確に これを持っていると、命がありさえすれば失ったものは取り戻せる、と最初の衝撃後早い時期に立ち直ることができます。早い人は、瞬間的にそのスイッチが入ります。苦境にあって、情熱をより強く煽られるのでしょう。
そうした明確なものを持っていなくても、被災した中で、生きる目的が明確に見えてきたら、力が出てくるようになりましょう。
東日本大震災の時に、大波と一緒に流れてきた大木に押され、握っていたお父さんの手から引き離されてしまった少女がいます。当時15歳。マリさん(仮称)といいます。お父様は、そのまま行方不明となり、その瞬間の光景は、大きなトラウマとなって彼女の脳裏にずっと残ったとしてもおかしくありません。
でも、彼女は、自分が一生懸命に生きることがお父さんの魂を引き継ぐことだと考え、いろいろなことに挑戦することにしました。仮設住宅で苦労するお母さんを励ます一方、他の犠牲者たちと一緒に、ニューヨークやパリでの義援金募金の活動ツアに参加し、その後、1年間オーストラリアに留学しました。活動ができたのは、周りからの支援があったからですが、参加の意思表明し選択し続けてきたのは、マリさんです。その後、震災で犠牲になった人びとを支援する団体に属し、活動を続けています。結婚して一児のお母さんとなり、とても充実した幸せな生活を送っています。
彼女は、「自分が明確な生きる目的を持ったから立ち直れた」「周りの人びとの支えのお陰だ」と言います。
未来のことは心配せず、今この瞬間にできることを着実に積上げてきた結果でしょう。
一方、こんな例もあります。
今年5月、スイスで安楽死した科学者がいます。David Goodallというイギリス生まれのオーストラリアの生物学者で、動植物の生態系について研究し、大きな貢献を果たした人物です。今年104歳になり、身体が徐徐に不自由になり介助が要るようになってきたことで、自分の尊厳を失いたくない、加えて、もう社会に貢献できることがない、だから「死にたい」ということで、ご自分の命の最後を締め括られました。
彼は、孫たちに至るまで家族全員を彼の決意と決行の全行程に参加させ、最後の瞬間まで録画させ、安楽死の議論がもっと盛んに行われるようにと世界に向けて発信し、自らの「死」を使って、まだなお社会への貢献に尽くしました。
私たちに生きる力を与えるものが何であるかを如実に物語っています。
2 周りの支援は生きる気持を奮い立たす もうひとつは、周りからの暖かな支援です。人は繋がることで、元気を得ます。愛情が伝わることで、がんばろうという気持になれます。
時に、支援を受けることを潔しとせず、重荷に感じられることがあったとしても、人びとの善意やがんばって欲しいという願いが、空虚な心を徐徐に満たしていくことでしょう。
そして、復旧の大変さを越すことができれば、生きることの喜びや感動に再び満たされる日々がやがてやってくることでしょう。
【支援者たちの苦悩】
災害は、被災しなかった人びとにも深い苦悩を与えます。
事故による怪我や大きな病気が周りの人びとに大きく影響するように。
・生まれる罪悪感
誰かに不幸が襲ったら、そして、亡くなる人が出たら、誰も尋常な気持ではいられません。
幸いにも被災は免れた、良かった、と思うごくごく自然な気持が、罪悪感や自責の念として自分を襲ってくることがあります。
被災を免れたことは、実際に本当に幸運なことなのです。その幸運を素直にありがたいと思うことは、当たり前なのですが、その当たり前が、被災して苦労してみえる方々のことを考えると、快適な場所で、食べる物にも不自由せず、きれいな水が使えるという状態に感謝できる状態を申し訳ないと思ってしまうからなのでしょう。
その感謝できる状態で、被災者に対して何ができるかを考え、自分ができることの目的を設定すれば、いいエネルギーに変換することができます。
・助けたいのは自然の気持
困っている人を助けたい、何かお役に立ちたい、というこれまた極めて自然な気持が、必ずしも、純粋なものとして受け止められないことがあります。通常のチャリティでもそうですが、自己満足でしかないといった心ない言葉が飛んだりすることがあります。
人間が、つながっていたい、コネクションを持ちたい、困っている人に手を差し伸べたいのは、本能です。だから、悲劇が訪れた時には、いても立ってもいられなくなり、何かしたい、何かしなければ、とせき立てられるような気持になるのは、まったく当たり前のことです。
ボランティアとして実際に現場でがんばられる方々には、ただただ頭が下がるのみです。
・支援は自分ができる方法で
何かしたいという気持と、何が、いつできるかというのは、別物です。
被災者が必要としていることと、自分ができることがマッチしなければ、支援の効果は半減してしまいます。どうすることが効果的なのかわからなかったり、何ができるのかと悩んだり心を痛めたりすることがたくさん出てきます。
日常の生活の維持や仕事の遂行など、そうでなくても忙しい生活を送っている現代人にとって、1日数時間の、週に数日の、時間を作り出すことは現実の問題として至難の業です。
そうなってくると、お役に立ちたいという逸る気持に迷いが生じたり、ブレーキがかかってしまうことになります。それに対して再び罪悪感を感じるといった二重三重の複雑な気持になります。
特に、日本は、お互いにとても気を遣う社会なので、人びととのやり取りで心労を余計に感じてしまうことが多々あるのでしょう。
これは、特に身近な人びとが事故に遭ったり、大きな病気にかかった時にも、どうしてあげていいかわからないために、求められている支援を適切にできないことがあります。いくら気持があっても。。。
支援を必要とする人びとが、こうして欲しいと要望すれば、痒い所に手が届くのでしょうが、「何がお入り用ですか」「どうしたらいいでしょう」というような質問をすれば、「何も要らない(手伝ってなんてもらわなくてもいい)という返事が戻ってくるのが落ちかもしれません。難しいのです。
加えて、洪水で生じた泥の後始末、家具の始末など、重労働の作業は、体力への負担が大きく、さらに、熱暑となると、ボランティアに出て体をこわすといった二次災害が生じることもあります。被災者はもっと大変、こんなことでへこたれていられないとがんばれば、自分が参ってしまい、それ以上の支援はできなくなります。
話は少し飛びますが、長年、飛行機に乗る度に、おかしい、おかしいと思っていたことがあります。それは、緊急時の酸素マスク着用の仕方です。子どもに先に着けるのではなく、まず、自分。それから、子ども、という指示です。いや、私なら子どもにまず着けると何十年も思っていました。それが、ある時、自分が腕の骨にひびを入れ、普段5分でできることが30分かかる。それまで当たり前にできていたことができない。自分のことが精一杯で、人のことどころではない。
それで、ようやくわかったのです、この酸素マスクの意味が。
・個人の力には限りがある
支援は、極めて大事。
でも、こうした大きな災害は、個人の力に限りあることを思い知らされる切ない場面にたくさん遭遇することにもなります。だからこそ、たくさんの人びとが集まって手をつなぎ、力を合わせることで元気が出、復旧作業がより効果的に進みますが、そのためには、行政や地方の誘導が決定的な役目を負います。しかしながら、惜しむらくは、行政は、「公平」「落ち度がないように」といったことを優先しがちなために、即効性に欠けてしまいがちです。
それ故に、ますます個人が重い負担を共に背負おうとするのですが、それぞれが、限界を超えてしまわないことはとても大事です。
大事が起こった時は、往々にして、普段想像もつかないような力が出るものです。復旧作業やお手伝いに夢中になり、身体の疲れを感じず、体力と気力が続く限りゴーゴーゴーの状態を続けていると、やがて、疲労困憊して倒れ、その後の生活に恒久的な疲れを残すことになってしまうかもしれません。
そして、自身のそれまでの生活のリズムを失い、あたかも間接に被災したかのような状態になりかねません。
それを防ぐためには、限界があることを受け入れ、それに対して罪悪感や自責の念を感じないことです。簡単なことではないのですが、酸素マスクの原理を思い出すことです。
【長期的な展望】
災害がますます頻繁に起こるようになる時代、そして、多くの人びとが病気を避け難くなってきている時代、私たちは、どうすればいいのでしょうか?
そうなることを、まず、未来図に入れておいて、今を生きる必要があります。
なぜなら、私たちはもう予想がつかない世界に突入してしまっているからです。人間が軌道修正できる時間がすでに過ぎてしまっているのであれば、私たち自身が、身を守る必要があるだけでなく、その日が来ることを覚悟していなければならないということです。
・感謝の毎日
欲しいもの、足りないものに視線を向けるのか、それとも、自分が持てるものに視線を向けるのか。
それによって、人間の気持は大きく変わってきます。
日本が経済的に豊かな時代を迎える前のこと、ある家族に7人子どもがいて、本当に貧しく、お父さんが近所の家々の畑仕事を手伝いながらその日の終わりに配給される野菜で飢えを凌ぎ、9切れに割ったリンゴ一切れの味が忘れられないというほどに食べ物が不足していたお家がありました。
お母さんは、残り物や調味料を分けてもらうために近所の家々をまわったこともしばしば。そうしたことを大変だと思うこともなく、愚痴をこぼすこともなく、その日手に入ったものを幸運だと喜び、感謝し、ありがたくみんなで食したといいます。
この7人の子どもたち、互いに助け合って勉強して全員が高校に進学し、仕事に就き、やがて、7人の共同出資でお父さんとお母さんに家を建ててあげ、生計を支え、時間を作っては実家に来て家事を手伝い、 お父さんとお母さんは、最後の最後まで本当に幸せな人生だったと感謝し続けてみえたということ。
なによりも、すごいと思うのは、どんな時でも苦労したお父さんとお母さんへの感謝を忘れず、今ある自分たちの毎日にいつも感謝し続け、7人が7様に幸せな家庭を築いているということです。
これは、私が直接に知るあるご家族の話です。この家族の在り方は、物質に囲まれた私たちの現代生活の中で、とても象徴的な存在だと思うのです。
なぜかというと、幸せは、物にあるのではなく、人の想い、考え方、互いへの愛情の示し方にある、ということをこれほど見事に物語っている家族はないからです。
・生き甲斐のある毎日を作り出す
何を生き甲斐として生きていくのか。
したいことの達成、夢の実現は、すばらしい喜びを運んできてくれます。
“Bucket List (バケツリスト)”という言葉があります。これは、死を前にした人たちが、死ぬ前に達成したことを書き出すリストとして使われ始めた言葉ですが、今は、普通に、一生の間にしたいことなんでもすべて書き出すものとして使われています。
自分の死が見えなくても、告知を受けなくても、私たちは、いずれ、その日を迎えます。そういう意味では、このBucket Listは、いつ作成してもおかしくありません。
アメリカで80歳以上のお年寄りにアンケートをしたところ、70%の人びとが共通に感じている後悔のナンバーワンは、「もっと挑戦すれば良かった」という情報があります。
やりたいこと、してみたいことは、人を突き動かす動力になるものです。
時間がない、お金がない、面倒、失敗するかも、人がどう思うかわからない、などなど様々な口実を自分に与えたら、動かないで終ります。リストを制覇していく勢いが糧となり、それを実現するための準備と手段の整えていくことが毎日の時間を充実したものとします。
そこには、何かに燃える自分がいることでしょう。
そして、自分がしたいことが人に恩恵をもたらすものであり、社会をよりよくするものであれば、やり甲斐はより深まり、人生の喜びはとても大きなものとなります。
・周囲の人びととのつながりを大事にする
人間が幸せを感じることは、ふたつのカテゴリーに分けることができます。
ひとつは、自分自身の達成。
もうひとつは、人びととのつながりの中で生まれる喜び。
同じ目的を持った人びととのグループ、同じ価値観を持つ企業仲間、同じ楽しみを追うサークル仲間などなど、自分を囲む人びとはたくさんいます。それぞれの人びととの関係を大事にしていくことで、人びととつながることができます。
その中でも、家族は、特別な意味を持つ存在です。この関係が、他の人々との関係の土台になるといってもいいほどに、自分の存在の安定をもたらすものだからです。ここが揺れ、愛情や和がガタガタすると、いつも何か満たされない、そして、イライラする人生となってしまいます。怒りに満ちたものとなるかもしれません。人に理由なく当たり散らすかもしれません。他人を信頼できないかもしれません。
過去に何があったとしても、災害や事故や深刻な病気に見舞われた時は、しがらみや嫌な思い出や憎しみなどの重い感情を捨て去る良い機会です。そんなものは、生きていく上で邪魔になるだけです。私たちの限られた命の中で、そんな負担は要らないのです。
今に焦点をあて、今この瞬間、お互いを支えるために日々の生活を営み、自分の愛を伝える行為を選択していくことです。
大津秀一著「死ぬ時に後悔すること25」のナンバーワンは、「愛する人にありがとうを伝えなかったこと」ということだそうです。
私たちはコミュニティの中に生まれ、コミュニティの中で育ち、コミュニティを形成していきます。
良きメンバーであるために励み、社会に良いものを還元しましょう。できないことにガリガリせず、それぞれ一生懸命している人びとを批判せず、でも、自分が無力だと罪悪感を感じたりせず、自分ができる範囲と方法で。
やがて、いつかは、誰にも、それができなくなる日が来ます。だからこそ、自分なりの方法で、そして、人びとと手をつなぎながら、今日を大事にしましょう。