人間は、エネルギーのかたまりです。

そのエネルギー(気、活力)をどこにどれだけ向けるか、そして、何を軸にするかで、私たちの生活はまったく違ってきます。

生活が違えば、人生そのものも違ってきます。

家庭、仕事、同僚との人間関係、スポーツ、学校の勉強、筋トレ、食事と健康、美容、おしゃれ、整理整頓、なんでもいいのですが、自分の時間とエネルギーを注入するところが、その人が得意とするものになっていきます。

何よりも、楽しいのですよね!

お掃除が大好きな友人がいます。きれいになった時の気持ちよさがなんとも言えないのだそうです。その快適さを味わいたいために、あえて部屋を散らかしてみることもあるくらいに。

彼女のお家はいつもきれいに片付き、とてもすてきな雰囲気に保たれています。

片付けるものがなければ、模様替えを計画。食事をするのを忘れるほどに夢中になり、  「こんなに楽しいことはない」と言います。それが何日続いても、何ヶ月続いても、何年続いても。

そのための買い物や職人さんのアレンジも含め、お家をきれいに整える時間が最高に幸せな時間であり、彼女が生き甲斐を感じる時間なのです。

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早朝に10キロ走る青年がいます。走り終わった後の爽快さが、なんともいえなくいい気持ちなのだと言います。中学校の頃に、その楽しみを覚え、目覚めた瞬間に、走っている感触が足を流れ、ウォーミングアップした後、家を出る瞬間の緊張と充実感に生き甲斐を感じるといいます。マラソンの世界選手権に出ることが夢です。

どんなお天気であっても、走ることは苦痛ではなく、無我の境地になれることがいいのだ、と。世の中の大半が、まだ、ベッドの中にいたい、という時間に。

 

食べ物が大好きな友人がいます。これで自分の健康を作っていると考えるといい気持ちだし、何を食べてもおいしく、食事をするたびに幸せな気持ちになると言います。仕事中でも時間があれば食べ物のことを考えているそうです。

有機野菜を自分の畑で栽培し、お料理の研究をし、何十年も医者にかかったことがないほどに健康です。いつも活力と幸せな笑顔に溢れています。

 

私の知人に、司法試験に9回挑戦した人がいます。彼の夢は、弁護士になって社会の底辺にいる弱い立場の人々を助けるというものでした。試験の失敗が数年続き、夢を捨てて別の仕事を探すよう両親から諭されました。でも、彼は、その夢を捨てず、両親に借金して勉学に励みました。

やがて、付き合い始めた 女性が彼を支援し始めました。今度こそはと臨んだものの、毎年失敗し、周りは、徐々に、彼をクレイジーだと呼ぶようになりました。それでも、彼は、自分の夢に しがみつきました。

パートナーの女性も、勉強中の彼の背中に、熱気とも殺気とも言える、通常ではないエネルギーを感じ、そこに自分のエネルギーを重ねたそうです。

遂に9年目。司法試験に受かりました。それから、何十年経ったでしょう。彼はその地方の名士となり、周囲の反対を押し切って支え続けた奥さんも、連日社会で起こる不平等/不公平/不当に対する戦いの毎日であっても、自分たちの気持ちは、澄み切ったとても気持のいいものだと言います。

人々と一緒に、人々のために役に立つことができることが人生の最高の喜びであり、それ ができることをありがたく思い、自分たちが幸せであることに感謝する毎日だ、と言います。

あの9年間は、自分たちとのたたかいだった。でも、自分たちの未来を信じることで、自分たちの絆も深くなったし、そこに向けて努力することが、他の何よりも私たちを幸せにすることだった、とも言います。

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いろいろな例をあげました。何を言いたいかということ、人は、最終的には、自分が、「気持ちがいい」「心地よく感じる」ことにエネルギーを注入す るということです。

楽しいから時間が経つのを忘れます。

時間をかけるから、上手になる。だから、ますます楽しくなる。

外にかもし出されるエネルギーも気持ちよいものとなります。社会に良いエネルギーが注入 されます。

でも、社 会の中では、誰もが必ずしも、「気持ちがよくなる」ことだけをしていられるとは限りません。学習においても、仕事においても、好まないことにエネルギーを注入することを余儀なくされることは多々あります。

「気持ちのよさ」や「幸せ」という感覚を感じないままに強 いられたことを長い間続けると、注入したいエネルギーは、押さえ込まれ、鬱屈し、ねじられてしまいます。発露を失い、ふたを曝れたままになると、そのエネルギーはどうなるか?

負の形で、表現されます。

うつの状態に陥ったり、精神的に病んだり、身体に異常を来したり、怒りを感じるようになったり、責任を放棄してしまったり、とんでもない爆発を引き起こしたりします。

学校であれば、無言の抵抗であったり、不登校であったり、いじめであったり、学内暴力であったり、先生への反抗であったり、先生の生徒への権力乱用であったり、先生の精神的病いだったり、と立場に関わらず、社会に戻るエネルギーは、決していいものではありません。

子どもたちの学習においては、親がどんなに熱心に勧めようとも、塾に送ろうとも、子どもがどこにエネルギーを向けるかは、最終的には、子どもたち自身の判断にゆだねられるのですが、その前に、大事な前提があります。

ひとつは、好奇心がくすぐられるか、関心をそそられるか、そこから来る刺激を受ける用意があるかどうかです。

赤ちゃんは、好奇心のかたまりです。小さな子どもたちも好奇心のかたまりです。そして、もっと、もっと、と次々に新しいことに向かっていきます。

好奇心を持ち続ける子どもたちは、いろいろなことに関心を持ち、学び、自分の世界をどんどんと広げていきます。幅を広げる子どももいるば、深く掘り下げていく子どももいます。

いずれにしても、彼らの好奇心は、大人に生涯尽きることがないでしょう。

一方、その好奇心を失ってしまう子どもたち。。。。 何が起こったのでしょうか?

今まで25年あまり見てきた例や様々な文献から見えることは、実体験をしていないということが原因のひとつととしてあげられます。

実体験が限られている −

  • 達成感を味わう体験をしていない
  • 失敗した悔しさを体験していない
  • 失敗から立ち上がる体験をしていない
  • 羽目を外すような冒険をしていない
  • 様々な体験をしていないから実際的な知識を持っていない

刺激のない毎日の中で、徐徐に、新しいもの、何かをしてみようという好奇心も関心も起きなくなり、自分の世界を広げることへの尽きない興味を持つどころか、逆に、今知っているだけの小さな世界から抜け出すことを怖がるようになってしまいます。

もうひとつあげられるのは、理解の問題です。

南カリフォルニア大学で教鞭を執るダリオ・ナーディ博士の刺激に対する神経回路の研究によると、理解し、わかるようになり、上手にできるようになると、それに比例して、課題に従事する度合いが高くなる。

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しかしながら、一旦理解が途切れると、やる気は、一挙に落ちる。また、知らない分野のことや、自分にとって重要でないものには、関心が起こらないので、脳内の活動も起こらない。

大変に興味深いものです。

ということは、学習において、最初は、みなゼロから始まり、そこから伸びていく子どもたひちと、途中でいやになってしまう子どもがあるのは、能力の違いだと思いがちですが、実は、理解の問題を見落としているのではないか、ということになります。

では、小さな頃から塾に通わせ、勉強することが理解に繋がるかというと、必ずしもそうではありません。「塾に行かされて、無理矢理勉強させられたので、勉強がいやになった」ということだってあるわけです。

親も学校も、成績の良い子を育てることに視点を当てがちです。

それよりも、小さな頃から、遊びの中で理解を深め、理解=楽しい、という感覚を子どもたちが自然に味わっていることが、極めて大事なのではないでしょうか。好奇心が湧き、体験し、納得し、失敗/達成を繰り返し、自分で工夫し、理解の度を深めていく。

これが、小さな子どもたちが、たくさん遊ぶこと、いろいろな体験をすることが重要である所以です。

楽しい勉強なら、親が勉強せよと言わなくても子どもは進んでします。

小さな子どもたちの好奇心、向上心は無限であり、様々な方向に向けられます。

ここで重要なことは、親御さんや周囲の大人たちが、どんなに忙しくても、子どもたちと一緒に遊ぶ時間を毎日もうけ、自然の中で遊び、体を動かし、親がしてしまうのではなく、家の内外で様々な実際的な体験をさせることです。

親が一緒に時間を過ごし、一緒に遊ぶことで、子どもは、親の愛情に包まれ、安心することで、いろいろな挑戦に挑むことができます。

特に、赤ちゃん時代に、赤ちゃんが送ってくるコミュニケーションのサインをしっかりと受け止め、いろいろなことを体験させ、達成を誉め、誇りを培い、次々と新たにできるようになることの楽しさを親が一緒に楽しむことで、赤ちゃんの好奇心は無限に広がっていきます。

IQもEQも、こうした過程の中で培われていきます

幼児期にさらにいろいろな体験(できた、できなかった、またやる)を積んでいくことで、幼稚園に行く頃には、いろいろなことができるようになっているでしょう。自分に自信を持っているので、そして、新しいことができるようになる喜びを充分に知っているので、新しいことにどんどんと挑戦していく元気も備えています。

間違ったらやり直せば良い、できなかったらできるまですればいいという姿勢ができているので、積極的に取組んでいくことができます。周囲の大人、特に、親御さんにできることは、この姿勢が、小中高へと継続できるよう支援することです。

やり方がわからない、間違ったら、できなかったらという呪文にエネルギーを費やすようにならないように。

どんなことが支援なるかというと、手を出さない、ということです。子どもが自分でできるようになっているこは、子どもにさせるということです。

やあ、習い事が忙しい、部活が忙しい、勉強する時間を与えないければと、親御さんが全部してしまう ー 実は、これが、子どもが自立し、なんでも自分でできるようになる大人になる機会を奪ってしまうことになるのです。

子どもたちの能力を伸ばすためには、子どもたち自身が体験を積んでいく環境を与えることです。それが、親の愛情なのです。

してあげることが親の愛情なのではなく、親の愛情は、一緒に過ごし、共有する時間を持ち、子どもが体験できる環境を作り、達成したら誉め、失敗したら、何がダメだったかを一緒に考え、子どもが体得できるまで体験させ、子どもに自信を芽生えさせていくことです。

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職場ではどうでしょうか。

終身雇用制が中心だった従来の企業環境であれば、新人の教育は、組織が責任を持って行ない、教育は、数年にわたって続くところもあり、組織全体が長的展望で成長を図ることができました。

年功序列がいやだと思うことはあっても、先の流れは,明確に見えていたので、「安定」がありました。

日本経済の長きにわたる低迷やアメリカ式の雇用制の導入や労働市場の変化によって、雇用状態が変化してくると、「変化」がもたらされた代わりに「安定」が失われるようになり、新しい形のリーダーが求められるようになり、仕事の中での競争もそれまで以上に激しいものとなれば、それぞれに上下からの、そして、横からの重圧がかかり、トゲトゲしい雰囲気になっても不思議はありません。

「就活」なる恐ろしい制度が日本にはあります。

体験豊か、たくさんの学びを積んできている、自分が何をしたいか明瞭にわかっている若者たちは、それなりの用意もしているでしょうし、自分の選択はクリアでしょうから、それを通らないかもしれないし、通るとしても、敢然とそれに臨んでいくことができましょう。

とにかく仕事を得なければ、とたくさんの会社を受け、たくさん蹴られ、拒絶し続けられた若者の心理は、一体、どうなるのでしょう? この傷から簡単に回復できるのでしょうか。

会社に入っても、戦力となれない人たちの自己評価は、どんどん小さくなっていくでしょう。

戦力になる力が充分にあっても、力が発揮できる部署にもつけず、意見も言えない状態が何年も続けばどうなるでしょうか。

決定権の無いところで、責任のみを押し付けられたら、そして、それがずっと続いたら、どうなるでしょうか。

仕事の成果は認められず、仕事量だけを増やされていったら、どうなるでしょうか。

心身ともに疲れ果ててしまうことは、目に見えています。

それは、若者だけでなく、これまでずっと会社のために貢献し続けてきた人々の心にも体にも、現状の大変さ、満たされない日々、そして、将来への不安などから、負の変調が起こっても不思議ではありません。

それだけでなく、今、社会には、体や神経に害のある食べ物が溢れ、生活環境の中には、危険な化学物質が氾濫しています。

そうした有害なものの影響は計り知れません。でも、確実に私たちの心身を弱めていることは、疑いのないことで、そうした面からも、身体面、精神面の健康を考えていかなくてはなりません。

大人になればなるほど、自分の健全なエネルギーの発露を求めることは難しくなります。日常のリズム、仕事、世間の常識、生活上必要なことなどで、生活スタイルも考え方すらも形作られていってしまうので、「自由」になれないと思ってしまいます。実際、それまで築いてきているものを壊すことは恐ろしいことだろうし、その中での改善を求めるのは当たり前でしょう。

しかしながら、枠にはまり、トラップをはさまれてしまったような場合には、長期の精神的病いを患うようになってしまう前に、しがらみ、常識、常套、社会の期待などから自分を解き放つ勇気を持ち、「型破り」「常識破り」になることが必要となってきます。

負に悩まされない人生、楽しめる人生が送る道を選ぶことは難しいけれど、不可能ではないでしょう。

英語には、Sea Changeという言葉があります。自分の中での、大きな変化、変身、成長を意味するのと、もうひとつ、生活スタイルの根本的チェンジという意味があります。

住む場所を変えて、新規巻き直しという手もあります。でも、心身就かれ切ってみえる方々は、もうその気力も体力もないかもしれないですね。そうなると、周りの人々の力と協力と支援が必要となってきます。

その点、子どもたちにその変化を起こすのは、とても簡単です。

親が時間を一緒に過ごし、一緒に遊ぶ。

様々な遊びを体験させ、日常生活の様々な場面の実体験をさせる(何度も繰り返しますが、親がしてしまってはダメなのです)。達成も失敗も、全部、子どもが体験しなければ、成長とはならないのです。

子どもたちは、そうした体験を通して、技術や知恵を培っていくだけでなく、親とのしっかりとした絆(これは、生涯、ずっと安定感、幸福感を維持する源となります)を結び、安心して自分を伸ばしていくことができるようになっていきます。

自分のエネルギーが、自分が「心地よく」「気持ちよく」感じられるところに注入されていけば、その先には、きっと良い結果が待っていることでしょう。

一度しかない人生、誰もが気持ちよく生きられるものにしたいですね。

 

 

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