子どもが言うことを聞かない。
それがエスカレートして来る時は、どうしたらいいでしょう?
実は、これも親と子のパーソナリティ/性格が大きく影響します。
- 親も子も強い個性を持っていれば、ぶつかることは多々ある。
- パーソナリティの相似/相違で親子の相性が変わる。
- 親と子の個性が違えば、双方の期待はズレる。
- 子どもの不満の出し方は、性格によって大きく違う。
子どもは、自分の願望が通らなければ、その不満をいろいろな形で表現します。
大人が、それを自分に対して、と受け止めると、そうした態度は、反抗、わがまま、頑固、聞き分けがない、言う事を聞かない、というふうに映ります。
ここで、わかりやすい歴史的人物に登場してもらいます(人物像は、司馬遼太郎の著書『覇王の家』『国盗り物語』を参考にしています)。
たとえば、行動的、奇抜な行動、時も場所もわきまえず思ったことは即実践、社会的規範を嫌う、どこにでも自由に行ってしまう、権威などくそくらえ、の信長は、大人にとってはとても御し難い子どもであったろうことは想像に難くありません。
今の時代なら、「発達障害」にされてしまうのは免れないでしょう。
でも、そんな信長にも、優しさと心遣いを見せる人がいました。育て役の爺や平手政秀と濃姫です。爺やは、常にハラハラしていたに違いないでしょうし、最終的には、信長を戒めるために切腹したとされる場面も出てきますが、そんな爺やに信長が思いやりを示している場面もあります。
濃姫は、こんなことを言っています。「(信長の奇行は)こっちを試そうとする一種の奇襲。ただの阿呆ではない! 相手の反応の先の先まで読む(人)」と。
信長にとっては、良き理解者だったのでしょう。
子どもと言えども、子どもたちは、大人の反応をとてもよく読みます。そして、それを試すこともします。
子どもがだだをこねたり、言う事を聞かないのには、それなりの理由があるのです。大人は、それを見つけ、それに対処すれば、「言うこと聞かない」は消えていくでしょう。
一方、家康はどうでしょう?
「よきものをまねることの心得」「手本が好き、手本から学ぶ」「天性の律義さ」を備え持ち、「幼少のころから一度も人を謀殺したことがない」「質朴さを好み、派手さは好まない」
「冷静であり、計算ができ、正直であり、感情ではあまり揺らがず、決めたことを崩さない」という姿勢を持つ家康が、小さな頃から、年長者の言葉に耳を傾け、忠実に従う子どもだったであろうことは、充分に想像できます。
これは、家康が生涯貫いている姿勢なので、彼のパーソナリティだと言えます。
日本の文化の中では、もっとも尊重される学習姿勢ですよね。
信長のような子どもは、手のつけようがない子ども、あるいは、出る釘は打たれる結果となるでしょう。
そういう信長が、「リーダー」について語る本の中では、常に、ナンバーワンの人気を保っているというのもおもしろいですね。通常では到底できないことをした信長への憧れの表れなのかもしれないですね。
領主の命令が法だった時代だったからこそ、信長は制度を壊し、新しいものを導入し、彼の世界観で社会を構築する試みができたのですが、今の社会でそれをしようとしたら、法に縛られ、マスコミや良識人という人々に叩き潰されることでしょう、
子どもが言うことを聞かないということは、単刀直入に言えば、親の言葉、意志、望みが、子どもの耳、理解に届いていないということです。
つまり、大人が、子どもが理解する言葉を話していない、
そして、
子どもは、自分のニーズが叶えられていない、ということです。
そんな時を迎えた場合、どうしたらいいでしょう?
次のようなことを考えられてみては、如何でしょうか?
対処法、7つのヒント
あくまでもヒントですので、それぞれの状況、ご家庭に合わせて調整しながら試してみてください。
- 冷静さを保つ
- 感情的にならず、感情的な言葉を発しない
- 子どもに怒らない (怒って怒鳴れば、状況は悪くなるだけです)
- 子どもの話を聞く
- 子どもは何を欲しがっているのか、何をしたがっているのか。
- 反抗したりだだをこねる原因が何なのかを突き止める
- きっかけになっていることを探す
- こういう時にこうなるというパターンがあるのか
- ある特定の時に起こるのであれば、その前触れ、触発するものは何なのか
- その特定条件を避けるために大人に何ができるか
- 話をする
- 親は命令をしていないか
- 止めさせることだけを考えていないか
- 親がエスカレートすれば、子どもがエスカレートするのは当たり前
- 約束事を作る
- 親が一方的に決めるのではなく、子どもと一緒に決める
- たくさん決めず、1つか2つに絞る
- わかる場所に約束事(絵でもグラフでもマークでも子どもが好むもの)を貼っておく
- 約束を守らない時には、それを見て親も子も冷静に話す
- 約束を守っていたら、時々、誉めたり、かわいいマークを貼って努力が見えるようにする
- 一貫した姿勢
- 一端約束したことに対しては、一貫した姿勢を持つ。親の姿勢が一貫していれば、子どもの姿勢も一貫したものとなる。
- 子どもが理解する言葉で話す
- 親が理解する言葉と子どもが理解する内容は同じではない
- 自分と子どもは別人格であり、別個のパーソナリティ/個性を持っていることを常に念頭に置いておく
- 子どもが何を理解しているかを確認する
子どもがわかる言葉というのは、子どもが理解できる言葉です。
例えば、こんな例があります。
ある幼児が塗り絵をしている時、なかなか色を塗り始めません。お母さんは、ほら、塗ってごらんと奨めます。そのうちに、女児は泣き出してしまいました。
塗り絵の本には、うさちゃんのお耳にpink、体の一部がgreyというように色が指定されています。
お母さんは、なんで泣くのかわからず、「ほら、クレヨンに書いてあるでしょ! その色を塗ればいいのよ!」と、まるで、なんでこんな単純なことができないの!言わんばかりにイライラ。
でも、その子どもには、できない理由があったのです。
クレヨンには、Pinkと書いてあり、本にはpinkとある。彼女にとっては、Pinkとpinkは、違うのです。
3+2=5は、2+3=5と違う、と思う子。
この子にとっては、3+2=5も2+3=5も同じだ、と言われた瞬間から混乱が始まります。
やがて、数学が嫌いになっていってもちっとも不思議ではありません。
こうした小さなことは、そんなに目立たないかもしれませんが、逆に、こうした小さなことに気付き、それが気になるとしたら、生活全体の中では、一体、どれほどに気になることが存在し、そこで立ち止まらなければならないことがあるでしょう!!
リスクがあっても、思い切って前に出て新しいことをしたらいいという意味で、逡巡している子どもたちに、私は、「思い切って跳んでみたら」と言うことがあります。
一番、簡単明快な場合には、間違えるのが恐くて文法が完璧だと思えるまで話せないという時。「ブレーキを外しなさい!」と。
ある時、生徒からこんな質問がありました。
「どこに跳んだらいいですか?」
「どんなふうに跳んだらいいですか?」
「ブレーキを外したら、危なくないですか?」
この思いがけない質問に、私の使っている言葉が如何に漠然としたものであるかをギャフンと思い知らされ、その後は、具体性を帯び、実際に絵が描けるような言葉で伝えることを努めているのですが、
でも、性分は性分、このブログでも、現実的、実用的、日常の絵が描けるものにしたいと思いつつ、現実的な例をなかなか思いつかないのが辛いところ(笑)
つまり、ここでもパーソナリティの影響からは、意識していても、免れていないという証明ですね(笑)