自律とか自制というのは、一言で言ったら、少し言葉がきついかもしれませんが、物事にけじめを付けるということです。
- 物事の善し悪し
- TPOに合わせたふるまいや言葉遣い(礼儀作法)
- すべきことの優先順位
- 時間の使い方
- 行動を起こすタイミング
- ここという時の踏ん張り
- 努力の入れどころ、あるいは、継続
などにおいて、
- した場合、しない場合の違いが見える
- その違いが何をもたらすか、長期の展望が見える
- 適宜に選択する決断力
- 適宜な対応力と行動力
ふううん。。。
自律とか自制って何かと、考えながら言葉に置いてみると、「自律性」というのは、実際に、すごいことなのですね。
だから、この能力を身に付けている人たちが人生で成功を修めるのは、もっともなわけです。
自律/自制と聞くと、まるで、自分を縛っているように思えますが、違うのです。
実は、これがきちんと整っていると、力強い機関車となるのです。
高校生を見ていて、遊びと学習、宿題とスマフォのゲーム、充分な睡眠と睡眠不足、健康的な食べ物とジャンクフードなど、きちんと区別を付けて、適宜な選択をしている生徒たちは、確実に成長していきます。
そして、新しい挑戦に積極的に向かっていきます。
一方、けじめを付けることができない生徒たちは、成長のスピードが遅いだけでなく、わからないことだらけで、言われなければ動けないし、ついていけないから学ぶことが億劫になっていきます。
飛びついても努力が続かないから、すぐにやめてしまう。
習慣化してしまった生活のリズムや時間の使い方、好んでしたいことなどを自分の意志で変えることは、簡単ではありません。
そして、新しい挑戦は、面倒くさいものでしかなくなってしまいます。
では、いつ頃までにこうしたことが確立するのか。。。
幼稚園に入った時に、社会性を身に付けている子どもたちとそうでない子どもたちがいるということは、自律心は、少なくとも、その基本は、その年齢になる前に身に付くものであると言えます。
もっと言えば、自律性とか自制力の基本は、社会に出る前に家庭で学ぶものだということになります。
ということは、自律性や自制力は、
☆ 家庭のライフスタイルから学ぶもの
☆ 家庭の生活リズムから学ぶもの
☆ 家庭内の礼儀やコドバ使いから学ぶもの
では、具体的にどうしたらいいのか。。。
ひとつの大きな指針になるものがあります。
トヨタ自動車には、「5S」の基本があるそうです。
整理
整頓
清掃
清潔
躾
恐らく、日本のどこの学校にも、同様な精神が見られたのではないかと思います。
戦後の経済発展と共に、「精神」よりも「物質/金銭」に比重が変わってしまったこと、「成績尊重主義」、そして、間違った「個人主義」の導入により、社会的なモラルがガラガラと音を立てて崩れた結果が、90年代後半の学級崩壊です。
学級崩壊は、子どもたちの自律性/自制力の欠如によるものです。それは、とりもなおさず、家庭の中で起こっている乱れを示すものです。
この5Sが今、家庭内に浸透しているかどうか、チェックしてみてください。
無ければ、導入していくことで、家の中の規律も整ってきましょう。
子どもが望むことをさせる、これは、大いに結構なことです。でも、「子どもの好き放題、勝手を許す」ということではまったく無いのです。子どもが学業に専念できるよう、お稽古毎に目一杯の時間を使えるよう、親、特に、母親が子どものスレイブに化してしまったところに問題があると私は思います。
自立性/自制力は、家庭内に固定したストラクチャー(枠、構成、軸など)があれば、自然についていきます。そのストラクチャーを作るのに、いい方法が3つあります。
すでに何度も強調してきていることですが、子どもたちに生きる力を培うことが、そのまま、自立性/自制力を養うことにつながります。
- 1日の生活に規律とリズムを持たせる(できるだけ同じ時間に同じことをする。そして、時間に区切りを持たせる。)
- 子どもに家の手伝いをさせる
- 役目を明白にする
- 終了するまでする(親が手伝う必要があっても、終了したことを親子で確認。終了したら、その努力を誉める)
- 親は簡単に折れてしまわない
3. 様々な体験をさせる
- 失敗することは大事な学習(危険でなければ、布石は打たない)
- 体験について話をする(良かったこと、悪かったこと、なぜそうなったか、次はどうすればいいか、など)
軸のある子どものキャラクター、パーソナリティが創られていきます。